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スポーツ界の“やりがい搾取”に気をつけよう

今年も新社会人がフレッシュな息吹を組織にもたらしてくれる季節を迎えました。うちのインターンOB/OGの中にも、今年新社会人になるのが何人かいます。彼らの社会への門出を祝うとともに、これからの長い人生で、社会に価値を創出しながら自分のやりたいことを実現し、固有の居場所を作ることができるように応援したいと思います。

 

さて、そんな新陳代謝がもたらされる季節であることを鑑み、SBAでも4月24日にこんなセミナーを実施します。以前から理事の間で是非やりたいと話していたものです。

 

スポーツ界で活躍するために20代で必要なこと 〜間違いだらけのスポビズキャリアの作り方

スポーツビジネスは「夢の仕事」(Dream Job)とも言われ、2020年の東京オリンピックの開催もあって多くの若者が一刻も早くこの業界で働きたいと躍起になっている。各地で有志の情報共有会や勉強会が開催され、多くの大学や教育機関がスポーツビジネスコースを提供している。

 

しかし、「いち早く業界で働くこと」と「業界で活躍すること」は似て非なるものだ。今や人生100年時代とも言われ、ビジネスパーソンとしての活動期間は半世紀にも及ぶ。そんな長期戦に臨むに当たり、夢だけ膨らませて何とかスポーツ業界に潜り込もうと固執するのは、目隠ししたまま丸腰で戦場に突入していくようなものだ。

(中略)

仕事に脂がのってくるのは40代を過ぎてからだとも言われる。この年代に勝負をかけるために、今何をしておくべきなのだろうか? 大企業/ベンチャーでの経験は活きるのか? 留学経験はあった方がいいのか? 英語は役に立つのか? 女性が活躍するために肝に銘じておくべきことは何か? などなど、20代で必要になる職業観やキャリアプランなどについて、登壇者が受講生の皆さんに等身大のストーリーを共有する。

 

どの国・業界にも多かれ少なかれ「搾取構造」が存在します。例えば、日本で最も大きな搾取構造の1つは、解雇規制があるため企業が過去に採用した正社員を優遇せざるをえず、その結果、新規採用において非正規社員が多く生まれ、同一労働を行いながらも金銭的に区別されてしまう年功序列型雇用制度でしょう。これは、既得権に根差した搾取構造で、今や世代間闘争の様相すら呈しています。

 

コンビニやファーストフード業界なども、現場を回している大部分は学生のアルバイトや留学生、移民ですよね。まあ、「搾取構造」というと、ちょっと言葉が悪いかもしれませんが、もう少し波風立たないように言い換えるなら、異なる動機やスキルを持った人材を上手く戦力化して、効率的な経営を実現していく、とでも言いましょうか。

 

スポーツ業界にも“搾取構造”は存在します。しかも、スポーツ界の場合「やりがい搾取」という巧妙な形を取るため、一見すると気づきにくかったり、気づいても目の前のニンジン(スポーツ界への就職)の魅力が強すぎて冷静な判断力を失うような、ある意味で性質の悪い形になっています。

 

東京オリンピックなどもあり、スポーツ界の注目度は高まってきています。ただ、既存企業の予算配分がスポーツに向けられてきたという程度で、実際に新たな市場が生まれている状況にはまだなっていません(まあ、これだけでも大きな変化ですが)。スポーツ産業の中心ともいえるプロスポーツでは、市場規模はここ10年ほとんど横ばいです。Bリーグはできましたが、これは既存のリーグを統合しただけで、新たな市場がゼロからできたわけではありません。

 

椅子取りゲームをイメージしてもらうと良く分かるかもしれません。日本のスポーツ業界の状況は、大学などが積極的にスポーツビジネスの学科を設けるなどの流れもあり、ここ10年でゲームの参加者の数は増え続けています。その一方で、椅子の数はほとんど変わっていません。それは、「儲かる教育」が幅を利かせ、椅子を増やすことができる人材が育成されないからです。

 

では、なぜこれで椅子取りゲームが続いていくかというと、定期的に辞める人がいるからです。スポーツ業界は長時間労働、土日休みなしなど、絵に描いたようなブラック企業ですから(笑)、情熱や夢だけあっても、職場で戦う武器がなければ10年も経てばバーンアウトしてしまうのです。装備を持たずに登山を始めてしまうと、途中で上にも横にも行けなくなって「これ以上ムリ」となってしまうのです。


以前、「なぜ天職はすぐに見つからないのか?」でも“3つの円”を使って解説しましたが、「好きなこと」を追い求めても、「できること」の範囲を広げなければ、天職になど出会わないし、面白い仕事などできません。「好きなこと」しか追い求めない人は、独りよがりで早晩燃え尽きて終わります。

 

僕も自分の会社の採用や人生相談などを通じて多くの学生と面談しますが、「自分は○×の理由でスポーツに情熱を持っています」「御社の業務が私のやりたいことにマッチするのです」という自己PRに終始する人が少なくないです。でも、経営者の本音は「あなたのやりたいことではなく、できることが知りたい」なのです。

 

言い方は悪いですが、こうした猪突猛進型の兵隊クラスタが定期的に入れ替わりながらスポーツ界に安価な労働力を提供し、現場を回しているのです(この状況は日本もアメリカもあまり変わりません)。ある人が「“スポーツビジネスの塔”に一番下から入っても、2階から3階に上がる階段はない」と言っていましたが、言い得て妙だと思います。そして、こうした現実に、スポーツ界に入った後で気づいても遅いのです。

 

さて、冒頭で紹介したSBAセミナーですが、今回はスポーツ界でその人にしかできないユニークな仕事をして業界や組織の中で存在感を発揮している若手の皆さんを登壇者としてお招きします。全員30代です。キャリアの築き方に「正解」はありませんが、スポーツ組織で「活躍」するためには何が必要なのか、彼らに共通するものが見えてくると思います。

 

以下のような皆さんを主な対象にしていますので、興味がある方は是非ご参加下さい。セミナーの後には懇親会もありますよ。

 

※将来スポーツビジネスに関係する仕事に就きたいと考えている学生

※将来スポーツ界への転職を考えているビジネスパーソン

※日本のスポーツ界での本質的な人材育成を考えている教育関係者

流行り言葉で思考停止にならないために

秋田県の佐竹知事が、J3ブラウブリッツ秋田(BB秋田)の本拠地となるスタジアムの新設構想に関し、「地方で複合型は成功しない」と発言したことがニュースになっています。

 

複合型スタジアム構想に否定的(NHK)

サッカーJ3、ブラウブリッツ秋田のスタジアム整備をめぐり、クラブなど官民連携の協議会が今月、サッカー以外にも活用できる複合型スタジアムの構想をまとめたことに対し、秋田県の佐竹知事は、26日の会見で「地方で複合型は成功しない」と述べ、否定的な考えを示しました。

(中略)

ブラウブリッツなど官民連携の協議会が今月、サッカー以外にも活用できる複合型スタジアムの構想をまとめたことについて、佐竹知事は「地方で複合型は成功しない。あの構想は東京のコンサルタントが自分でもうけるために示したものなので東京の言うことは聞かない。あれは全部商売だ。自分でものをこなしたことがない人が理想論を言っている」と強く批判しました。その上で、佐竹知事は「構想は参考にはするが、できるのかできないのかを協議するのはこちらだ」と述べ、複合型スタジアムの構想に否定的な考えを示しました。

 

発言は多少過激な部分もありますが(笑)、地方自治体の首長としては正しい態度なのではないかなと思います。むしろ、「スマート・ベニュー」(ちなみに、この言葉は株式会社日本政策投資銀行の登録商標です)といった流行り言葉を分かったつもりになって使って思考停止になっているよりは、よっぽど良いと思います。

 

FBでもポストしましたが、多機能複合型は経営上の変数が多くて難易度が高いモデルです。米国でも多機能複合型は数えるほどしかありませんし、成功モデルが確立しているわけではありません。

 

昨年、米国で新球場とともに周辺開発地域「The Battery Atlanta」を同時オープンした初めてのケースとなったアトランタ・ブレーブスに何度か話を聞きに行きましたが、プロジェクト責任者は、「我々としても何がKSFなのか当たりがついていないのが正直なところ。だから、変化に迅速・柔軟に対応できるオーナーシップを確保しておくことが重要」と言っていました。これが、ブレーブスが周辺開発に要した5億5500万ドルを全額拠出している理由です。ブレーブスのケースでは、球団が中心となって推進する多角化事業の1つとして街があるというイメージです。

 

まあ、球団が中心になって街を作っちゃうというのはむしろ例外的なケースかもしれませんが、米国でも多機能複合化に舵を切っている球団・都市に共通するのは、試合観戦だけでは溢れる顧客需要を取りこぼすため、その周辺にも受け皿を作ろうというのが基本的な考え方です。仕事柄、米国内で多機能モデルを計画・展開しているフランチャイズにはかなり足を運んでいますが、強力な動員力のあるアンカーテナントの存在が成功の前提条件になるように感じます。

 

これを踏まえると、多機能複合型にすれば必ず成功するというわけではないですから、「構想は参考にはするが、できるのかできないのかを協議するのはこちらだ」という佐竹知事のスタンスは、これはこれで真っ当な自治体経営者としての在り方だよなと思います。ただ、「地方で複合型は成功しない」と断言してしまうだけの材料は、少なくとも僕にはありませんが。。。

 

スポーツ施設は“生き物”ですから、一旦建設してしまえばあとは10年20年メンテナンスだけしていればOKなんてことはありません。激変する競合環境を睨みながら、競合他社が真似できない独自のValue Propositionを構築する努力を怠れば、その施設は建ったまま死んでしまいます。

 

例えば、野球ビジネスを例に挙げて考えてみるともう少しイメージが沸くかもしれません。NY市には、ヤンキースとメッツというMLB球団が本拠地を構えています。両球団のスタジアムは、車で行けば30分、地下鉄なら1時間ちょっとの距離にあります。また、同じくNY市内には両球団のシングルA球団が1つずつあります(SIヤンキースとブルックリン・サイクロンズ)。さらに、マンハッタンから車で1時間半圏内に独立リーグの球団が4つあります。

 

つまり、同じ野球ビジネスで飯を食っている競合球団だけでも8つあるわけです。MLBならブロードウェイが、マイナーや独立リーグなら映画館やモールが競合相手になりますから、本当の競争環境はもう少し複雑です。こうした中で、他社ではなく自社の球場に足を運んでもらうための独自の提供価値を考え抜き、変化する事業環境に応じて自身も変化し続け、それを施設設計にも定期的に反映しなければなりません。つまり、どこにも当てはまる正解などないのです。

 

誤解なきように言っておきますが、日本でバズワードになっている「スマート・ベニュー」というコンセプト自体が悪いわけではありません(すみません、登録商標なので勝手に使うと怒られてしまうかもしれませんので、最小限に留めます)。守破離ではないですが、最新コンセプトを参考にしつつ、最終的には自分たちの事業環境にフィットするモデルを自分の頭で考えるしかないのだと思います。

 

最近は日本でもスポーツ施設建設プロジェクトの構想がいくつも立ち上がってきています。まだ初期段階のものが多いようですが、僕のところにも最近不動産会社さんやゼネコンさん、総合商社さんなどから相談事が舞い込むようになりました。ただ、話を聞いて少しだけ怖いなと思うのは、流行り言葉が先走りして「ITを活用してスマートアリーナを建設します」みたいな、どこに進むか分からないまま進んでいるような計画であったり、テナント(施設を長期間利用する球団)が決まっていない中で、アウトサイダーだけで事業の話が進み、誤解を恐れずに言えば、大家ビジネスで汗をかかずに儲けが出るのではないかというイメージを抱いているようなプロジェクトが散見されることです。

 

最近日経ビジネスに書いたコラム「運動施設の命名権、米国より収益性が低い訳は?」で、日米のスポーツ施設の収益性の違いやその背景などに触れていますが、ここでも書いているように、事業価値を高めるためには施設所有者とテナントの協力体制が何よりも重要になってきます。

 

いずれにしても、スポーツ施設の建設計画では、「スマートなんとか」という流行言葉から離れて、自分の言葉で自らの経営モデルを語れるようになることが必要なんじゃないかなと思います。僕は2年ほど前から北海道日本ハムファイターズの新球場プロジェクトの外部アドバイザーをやらせて頂いていますが、プロジェクトメンバーの日常会話の中にはこうした「スマートなんとか」という流行り言葉はまず出てきません。

五輪壮行会やPV自粛が相次ぐ日本と世界で起こっていること

今日から平昌五輪が開幕しましたが、開幕に際して気になる報道を目にしました。日本で、選手の壮行会やパブリックビューイング(PV)の自粛が相次いでいるというのです。

 

平昌五輪あす開幕 学校や企業、PV自粛相次ぐ(産経新聞)

9日に開幕する平昌五輪で、競技の中継映像を大型スクリーンで公開し大勢で応援する日本でのパブリックビューイング(PV)について、選手が所属する学校や企業が五輪の宣伝規制への抵触を恐れ、相次いで自粛を決めたことが7日、分かった。2020年東京五輪・パラリンピックに影響することもあり、大会組織委員会や日本オリンピック委員会(JOC)などが協議。同日夜、自治体・スポンサーの主催を除き、企業や学校の主催でのPVは原則認めないとする方針を確認した。

 

五輪選手、CMから消える 肖像権理由に自粛 (日経新聞)

国際オリンピック委員会(IOC)は大会期間中、宣伝目的でのエンブレムや代表選手の肖像権などの利用を公式スポンサーに限っている。これに伴い、日本選手の肖像権を管理するJOCも2月中、スポンサー以外の利用を制限している。

 

自粛の動きは壮行会の中止や非公開化にも広がった。葛西紀明選手が所属する土屋ホームは2月1日、社員らだけで同選手を送り出した。同社は「壮行会を非公開にしたのは初めて。報道されればビジネスにつながるとは思っていないが、ルールに従った」という。

 

IOCが規則を変えたわけではない。JOCが指導を強化したのだ。ただ乗りが横行すれば国際社会から批判されかねず「東京五輪を控え、知財保護を徹底せざるを得ない」とJOCは説明する。ある意味「忖度(そんたく)」だが、JOCにも言い分はある。五輪関連の知財使用権を公式スポンサーに与える見返りに協賛金の拠出を受け、運営や選手強化の財源にしている。不正使用が増えれば知財の侵害だけでなく、協賛金の減収を招き大会運営に支障をきたしかねない。

 

この件は、「日本の状況しか知らないと世界の流れを見誤る」好例だと思いますので、少し解説を加えてみようと思います。

 

公式スポンサーの権利保護は大会主催者にとってはもちろん非常に重要な視点です。IOCもオリンピック憲章第40条でアンブッシュ活動を防ぐためオリンピックが開催される前後30日間はIOCの公式スポンサーであるTOPパートナー以外の広告活動を禁止していました(通称「ルール40」)。このルール40により、例えば公式パートナー以外の企業から支援を受けている選手がいても、この期間中は選手がそうした企業のテレビCMに出演したり、その商品を使用した写真やリンクをソーシャルメディアに流すことなどが出来ませんでした。

 

しかし、実はIOCは2015年からルール40を緩和する決定を下しています。オリンピックを想起しない形の広告活動に限り、それを認めることにしたのです。実際、現場でこの緩和を受け入れるかどうかは各国のNOCに一任されることになっています。米国、カナダなどでは既に2016年のリオ五輪からNOCがルール40の緩和を受け入れています。USOCなどは、オンラインで簡単にルール40からの離脱手続きができるようになっています。

 

先の日経新聞の記事などを読むと、IOCの規則に則ってJOCが指導を厳しくしたようにも読めますが、これは少しミスリーディングです。実際はIOCがルール40の規則を緩和しているのにも関わらず、JOCがその流れを受け入れていないのです。日本の代表選手でも、こうした状況を知らない選手が少なくないのかもしれません。元パラリンピアンの中西麻耶さんも、ご自身のブログでルール40に関する日米の違いについて言及されています。

 

IOCがルール40を緩和せざるを得なくなったのは、選手から大きな批判にさらされ、大規模な抗議活動が展開されるようになったためです。選手側の言い分は、「日頃から練習環境を支えてくれているのはオリンピック公式パートナーではなく支援企業(所属している会社や、物品を提供してくれる個人の協賛企業)。晴れ舞台でその名前を出せないのは理不尽だ」というものです。特にマイナー競技で活動している選手にとって、五輪での大きな露出は日ごろお世話になっている支援企業に恩返しをするまたとない機会です。

 

選手からのルール40への不満が臨界点を超えたのが、2012年のロンドン五輪でした。これは、2000年(シドニー)と2004年(アテネ)のオリンピック(砲丸投げ)で銀メダルを獲得した米国の陸上選手アダム・ネルソンが、閉会式など注目度の高い場面でも公式スポンサー以外のブランド着用を禁止するルール40に抗議するため、ロンドン五輪予選で選手やファンに自分の裸足の写真をソーシャルメディアで拡散するように奨励したのがきっかけになり、米陸上界を中心に大規模な抗議活動に発展していきました(通称「裸足の革命」)。

 

身も蓋もない話かもしれませんが、そもそもスポンサーシップという仕組み自体、大会主催者が勝手に考えた制度です。IOCが五輪開催地に特別立法を求めるのはこのためです。スポーツマーケティングに習熟した企業が多い米国では、大きなスポーツイベントが開催される場合はアンブッシュ活動も盛んに行われますが、これは企業によって考え方が異なるからです。

 

高額な協賛金を支払って正当に権利を行使した方がマーケティング活動がやりやすいと考える企業は公式スポンサーになりますし、スポーツ組織の言われるがままに高額な権利料を支払うなんてバカバカしい、もっとスマートで効果が高い合法的なマーケティング活動は可能だと考える企業はアンブッシャーになります(NIKEなどはアンブッシャーの代表的な企業です)。大会主催者とアンブッシャーのイタチごっこは終わりませんが、誤解を恐れずに言えば、アンブッシュ活動があるからこそ大会主催者は高額な権利料に見合った協賛効果を公式スポンサーに提供しなければならないという健全なプレッシャーに晒されるという側面があるのも事実でしょう。

 

日本人はお上や規則に弱いですから、一旦ルールが定められると、その合理性に疑問があっても盲目的にルールに従う傾向が強いですが、国によってはルール40の合法性を疑う動きすら出てきています。例えば、ドイツの連邦カルテル庁(Bundeskartellamt)は、「ルール40は過度に制限的すぎ、IOCと独オリンピック委員会に支配的地位の濫用の疑いがある」として、昨年末から調査を開始しています。同庁が問題視しているのは、ルール40が選手の活動を大きく制約するにも関わらず、選手に対する利益の還元がないためです。

 

常識的に考えて、日ごろ選手の活動を支えている所属企業や学校が選手の壮行会や応援も自由にできないなんて少しおかしいでしょう。こうした企業や学校は規模が小さかったり、スポーツビジネスの専門家ではないため、JOCから「ダメだ」と言われればそれに従うしかないのでしょう。世界で起こっているルール40緩和に向けた動きなどについては知見がないのかもしれません。

 

でも、おかしいことにはおかしいという声を上げなければ、日本のスポーツ界は健全に発展していかないでしょう。まずは、世界的に進められているルール40の緩和が、なぜ日本ではまだ受け入れられていないのか。その疑問に焦点を当ててその理由を考えてみるのが第一歩になるかもしれません。

恥さらしマーケティングというリスク

ツイッターでもつぶやきましたが、良い機会なので整理しておこうと思います。

 

この一件は、東京大田区の町工場が開発し、ジャマイカチームに提供した通称「下町ボブスレー」が、五輪開催直前にチームから使用拒否の憂き目にあい、町工場側が損害賠償請求訴訟も辞さずという泥沼に発展しているというものです。池井戸潤さん原作のドラマ「下町ロケット」のヒットもあって、同様に下町工場の技術力の高さのPRを狙ったのでしょう。

 

ところが、残念ながら朝日新聞の記事のように「遅い、安全でない、検査不合格」といった露出が出てしまい、むしろ大田区の町工場ブランド価値を落とす結果になってしまいました。オリンピックのような国際的に注目度が高まるイベントでは、それが公式協賛企業であるかどうか、あるいは協賛活動に関係する文脈かどうか、に関わらず、不祥事に注目が集まってしまい、自社の悪評を不本意に広めてしまう結果になりかねないリスクが潜んでいますので、注意が必要です。

 

例えば、2012年のロンドンオリンピックでも、TOPスポンサーとして、大会組織委員会の運営をバックエンドからサポートするITインフラの構築を一手に引き受けていたAtoS社が、パラリンピックに協賛しているにも関わらず障がい者への給付金カットにつながる調査を行っているとして大きな批判にさらされたり、同じくTOPスポンサーのDowが過去にインドで多数の死傷者を出した企業を買収していたことから、「オリンピック協賛に支払う金があるのなら、事故の補償をすべき」と批判にさらされるなど、年間数十億円という巨額の権利料を支払ってわざわさ自社の悪評を広める“恥さらしマーケティング”に足元をすくわれてしまいました。

 

また、先の週末に開催されたSuper Bowlは一日イベントとして世界で最も大きな露出を誇るスポーツイベントですが、この試合中にオンエアされたCMも、内容によっては後日大きな批判にさらされるリスクがあります。例えば、Ram Truckは、アフリカ系アメリカ人の公民権運動の指導者として活動したキング牧師(Martin Luther King Jr.)の演説をCMに活用したことで批判を受けています。人種差別撤廃を求めて運動した同氏の歴史的な演説を、トラックを販売する商業活動に安易に使うなという批判です。

 

また、こちらは米国では問題視されていないものの、日本で同じCMがオンエアされたら物議をかもすかもしれないなと思ったHyundaiのCMです。「Hope Detector」(希望探知機)と題されたこのCMでは、Super Bowl入場口で同車のオーナーを“探知”し、自動車購入時に併せて行われたガン研究基金への寄付により一命をとりとめた患者たちが感謝の意を述べるというものです。

 

こうした、いわゆるCause Marketing(慈善行為に結びつくことを消費者に訴求することで、商品・サービスの販売促進、製品ブランドや企業のイメージアップを狙うマーケティング手法)は米国では一般的なマーケティング手法として定着していますが、日本で同じことをすると、「病人を使って金儲けするなんて」と嫌悪感を感じる方がいるかもしれません。

 

ソーシャルメディア全盛の現在、マーケティング活動に国境がなくなってきていますが、こうした文化的・社会的背景の違いにリスクが潜むこともあり得ますので、注意が必要です。とはいえ、教科書的な表現ばかりになってもエッジの効いた広告にはならないでしょうから、その辺りの絶妙なバランス感覚が求められるんでしょうね。マーケターには厄介な時代になったのかもしれません。

「正しい」は「儲かる」に勝てない?

先日、日経ビジネスに「米国で急拡大、ユーススポーツビジネスの不安 〜大学スポーツを凌駕する巨大マーケットの全貌とは?」と題したコラムをアップしたのですが、これが意外に多くの方に読んで頂いたようで、当日のランキング3位まで行きました。

 

競技の早期専門化(若いうちにプレーする競技を1つに絞ること)による競技レベルの減退は、アメリカでもスポーツ組織の経営者が大きな懸念を示している話題です。このコラムを読んでくれた北米でアイスホッケーのコーチをしている知人(若林弘紀さん)と意見交換する機会があったのですが、現場のコーチの実感としても早期専門化の弊害を肌で感じているということでした。

 

彼が分かりやすい例として挙げてくれたのはゴーリー(ゴールキーパー)の育成で、専門化が進む今では7〜8歳までにゴーリーのポジションを固定することが多くなってきているそうなのですが、スケーティングなどの基本的なスキルが身に着く前に専門的なトレーニングを始めてしまうため、かえって上達が遅くなるんだそうです。そして、10歳くらいでプロみたいな動きができるようになるものの、その後急速に伸び悩むんだとか。逆に、他のポジションでプレーしていて10歳以降にゴーリーになった子供の方が明らかに伸びが早く、その後のポテンシャルも高いようです。

 

こうした早期専門化による弊害はコーチの間でももちろん共有されているようですが、ビジネス化の進展により、これまでコーチが有していたユースプログラムの方針決定権が、育成と事業の双方に責任を持つ施設(スケートリンクなど)のプログラムディレクターに移管されるようになり、歯止めが利かなくなっているようです。つまり、コーチは弊害に気付きながらも口を出せなくなってしまい、ディレクターも知らないわけではないんでしょうが、施設経営の観点から儲かる方向に舵を切らざるを得ない。これがビジネス化の怖いところですね。「ジュニア世代のエリート化」「施設の収益最大化」という短期的な個別最適を志向した結果、集団全体としての育成レベルが下がってしまう。これは「合成の誤謬」そのものです。

 

ビジネス化が進んでしまうと、どうしても「正しい育成」より「儲かる育成」の方が優先され、それが強力に推進されてしまいますから、競技全体で育成のグランドデザインを考えておく必要がありそうです。実際、米ホッケー連盟は2009年に科学的根拠に基づいた年代別選手育成手法を「American Development Model」として体系化し、一括して導入して成果を上げているようです(詳しく知りたい人は若林さんのこちらのコラムをご覧下さい)。

 

で、この早期専門化による弊害なのですが、同じことがビジネススキルについても当てはまるのではないかと思います。例えば、スポーツ界で活躍するために、スポーツビジネスを高校や大学で学ぶ必要が本当にあるのか? 僕は必ずしもないと思います。

 

スポーツビジネスは一見華やかに見えるのでカネになります。こうしたビジネスの論理により、「正しい教育」より「儲かる教育」が幅を利かせているようにも見えます。僕もSBAというスポーツビジネスの教育プラットフォームを運営しているので、この点は自戒したいと思います。

 

ビジネスパーソンとして活動できる時間は少なくとも40年、今後定年が伸びれば45年かひょっとして50年は働くことになります。将来スポーツ界で活躍することを夢見ている学生さんには、「いち早くスポーツ界に就職する」ことと「将来スポーツ界で活躍できる」ことは必ずしもイコールではないということに気付いてほしいと思います。

 

これは業界関係者なら皆知っている不都合な真実ですが、スポーツ界は丸腰でいち早く就職して伸び悩んでバーンアウトしてしまう人が非常に多い業界です。言い方は悪いですが、こういうクラスタの人が定期的に入れ替わりながら安価な労働力を提供して現場を回しているのが実態です。

 

僕もこれまで多くの学生(ほとんどが大学生。稀に高校生も来る)の進路相談に乗ってきましたが、10人中9人、いや100人中99人は「どうしたらスポーツ界に入れますか?」という質問をしてきます。残念ながら「どうしたらスポーツ界で活躍できますか?」という質問をされたことはほとんどありません。「儲かる教育」の餌食にならないためには、目利き力や人生構想力を高めて自衛するしかありません。

プリンシパル(原理原則)

明けましておめでとうございます。

 

2018年1月1日でトランスインサイトも設立12周年となり、会社としては13年目の年に突入しました。私個人としては、米国滞在18年目ということになります。

 

この18年間はいろいろありましたが、振り返るとあっという間でした。渡米当時は「アメリカ在住18年」などと聞くと、「もうほとんどアメリカ人みたいな日本人」というイメージがありましたが、今は自分がそう見られているのでしょうね(苦笑)。2か月に1回程度は日本に出張していることもあり、同じ立場になっても本人にそのような自覚はほとんどないのですが。

 

米国に渡ったのは、2000年8月2日でした。日付までよく覚えています。文字通り片道だけの航空券でボストンのローガン空港に降り立ち、夜遅かったためFenway Parkの裏のBuckminsterというホテルに宿泊しました(もっとも当時は土地勘もなく、それがFenway Parkの裏にあるホテルだと気づくのは少し後になってからですが)。

 

翌朝目覚めた時の気持ちは今でもありありと覚えています。見知らぬホテルの天井が視界に飛び込んできた時の形容しがたい不安感。雨模様のボストンの街を眺めながら、この先どうするんだろうと確固たる計画のない人生に途方に暮れ、胸に溢れてくる寂寥感。「不安と期待の入り混じった」というよりは、「ほとんど不安しかなかった」と言った方が正確かもしれません。

 

当時、27歳でした。でも、今思えばこの日から自分の「本当の人生」が始まり、人生が展開し始めたのだと思います。「カチッ」とスイッチが入った感じです。

 

私の好きな言葉に、「Life begins when you get out of the grandstand into the game」(観客席を降りて試合に参加しなければ本当の人生は始まらない)というものがあります。それまで、受験、就職といった人生の節目イベントに特に何の疑問も持たず、車の助手席に乗っているかのような人生を送ってきていましたが、退職、留学という自分の人生の舵を大きく切る決断を初めてしたのがこの時でした。まあ、格好良く言えば、この時に人生の運転席に乗り換えたんだと思います。

 

でも、この時には、その後自分がアメリカで2回も起業し、18年も滞在することになろうとは全く思ってもいませんでした。そして、27歳だった若者は、44歳の立派なおっさんになりました。

 

18年も活動を続けていると、いろいろなものが手に入ります。それは、業界内での人脈だったり、お客様からの信頼だったりするわけですが、一方で失っていくものも少なくありません。それは、体力だったり、勢いだったりします。

 

40歳を超えた頃から、本当に面白い仕事冥利に尽きる仕事に関われる機会が少しずつ増えてきました。留学した頃に思い描いていた、日本のスポーツ界を変えるインパクトを残せるような仕事です。でも、冷静に考えると、これは自分に実力が着いてきたから手に入れることができたのではなく、そうした仕事に関わっている方々と以前から志でつながっていたからなのです。そして、こうした同志と知り合ったのは、実は僕の留学直後だったケースが意外に多いのです。

 

見方によっては、そうした志を共にした絆がようやく仕事で花開いたと考えることもできます。これはこれで胸熱なストーリーです。しかし、一方で「これは怖いな」とも感じる自分がいます。

 

留学直後の自分にはほとんど何もありませんでした。あったのは、日本のスポーツ界を健全に発展させたいという「勝手な使命感」と、それを人生をかけて実現したいという「損得勘定のない志」だけでした。そもそも、当時は損得勘定できるほど自分の中にモノがありませんでしたから。

 

それから18年経った今、失うものがなく怖いもの知らずだった当時の自分が持ち得ていた使命感や志を同じレベルの純粋さで維持できているかと自問自答した時、自信をもってYESと言えるのか?年とともに失ってはいけないものがあるとすれば、それは志の高さや純粋さなのかもしれません。今食えてるのは、無邪気だった昔の自分の遺産なのかもしれない。こう考えると、本当に怖いです。

 

正月はこうした振り返りにはいい時間ですね。今年は、18年前になぜ自分がアメリカに渡ったのか、何を成し遂げたかったのかを思い出し、トランスインサイトを創業した時のプリンシパルを再確認しながら仕事ができたらと思います。そして、これはもはや無理な願いなのかもしれませんが、渡米当時の無邪気さを取り戻したい、少なくとも思い出したいと思います。

 

ということで、2018年もどうぞよろしくお願いします。

今年もまだ見ぬ同志との出会いを楽しみにしています。

 

Trans Insight Corporation

President

鈴木友也

 

米国大学スポーツの不都合な真実

BROKE(なぜスポーツ選手は一文無しになるのか?)」などでも触れましたが、ESPNの良質ドキュメンタリー「30 for 30」はテレビでまとめ撮りしておいて時間がある時に見ています。最近見てとても面白かったのが「One and not done」。

 

これは、現ケンタッキー大学バスケ部ヘッドコーチJohn Calipariのライフストーリー。CalipariはNCAAバスケ界で最高報酬をもらうHCの一人で、その年俸は800万ドル(約8億8000万円)。ケンタッキーといえば大学バスケの名門で、全米ランキング1位になることも珍しくありません。そんな名門バスケ部のHCであるCalipariは「プロになる可能性があるなら、大学なんて卒業する必要はない」と公言する米大学スポーツ界の異端児です。

 

少なくとも「教育がスポーツに優先する」という建前のあるNCAAでは、彼の発言はPolitically Correctではありません。しかし、実質的に米国ではバスケとフットボールで大学がプロのマイナーリーグ(人材育成機関)となっており、特に「Power 5」と言われる上位カンファレンスの実態はプロスポーツそのものです。HCはプロ同様に勝敗だけで評価され、勝てばインセンティブでボーナスも増えます。口には出さなくとも、本音ではCalipariと同じように考えている勝利至上主義のHCは少なくないでしょう。

 

番組の中でも特に衝撃的だったのは、部員に2ドルの宝くじを実際に手に取らせ、「いいか、普通の人間は2ドルの宝くじで当たることのない夢を買う。でも、お前たちは宝くじを買う必要はない。なぜなら、お前たち自身が宝くじそのものだからだ。それも、今手にしているくじよりもよっぽど確率の高い。この大会で活躍すれば、お前たちはプロになれる。そうすれば、普通の人が稼げない大金を手にできるんだ」と発破をかけるシーンです。

 

トップアスリートの中には、スラムやプロジェクト(低所得者用の住宅街)出身の選手も珍しくありません。彼らが貧困の連鎖から抜け出せるのは、スポーツしかないのです。ある選手が大学1年で活躍後、2年目も大学に残りたいとCalipariに相談しに来た時、「本気で勉強したいなら、大学なんて後からでも卒業できる。でも、プロになれるのは今しかない。馬鹿なこと言わずにプロに行け」と選手を追い返してしまったのです(結局彼は大学を中退してNBA選手になった)。

 

Calipariが周りに敵を作ることを恐れずにこう喝破できるのは、彼自身の生い立ちにあるのかもしれません。彼はイタリア移民の3世で、移民1世の祖父は炭鉱で働き(肺病で若くして亡くなる)、2世の父親は炭鉱や飛行機の燃料入れなどの職を転々として貧乏暮らしだったそうです。彼自身が貧困から抜け出すために選んだ手段がスポーツだったのです。彼の場合、それは選手としてではなくコーチとしてでしたが。

 

個性が強いCalipariの評価は分かれます。Calipariが嫌いな人は調和を乱すトラブルメーカーと評します。しかし、教え子たちからは絶対の信頼を得ている毀誉褒貶の激しい人物。彼は教え子に対しては一切手を抜かず、高校までスター選手であっても本音で罵倒し、挑戦し、能力以上の存在に引き上げていくのです。そして、数々のNBAプレーヤーを世に輩出しています。

 

NBAは2005年からドラフトに年齢制限を導入し、19歳(高校を卒業して1年経過)にならないとドラフト指名できないルールを導入しました。当初、ルール上有資格になるのは19歳とはいえ、大学に進学した選手は卒業までプレーするのが常識とされていました。しかし、この常識を覆したのがCalipariでした。選手に大学で1年プレーさせたあと、躊躇なくプロ入りさせて行ったのです。これを俗に「One and done」(1年で終わり)と言います。

 

彼は2009年からケンタッキーのHCとして指揮を取っていますが、名門大ですから全米中から選りすぐりの人材が集まります。彼らをプロに通用するレベルまで引き上げ、バンバンNBAに送り込んでいるのです(実際、昨年までの8年間でケンタッキーから48名のNBA選手を送り出している)。そんな彼の指導法は、“教育を隠れ蓑にしたビジネス”として度々批判されるNCAAの欺瞞を象徴する行為として糾弾されますが、彼はそれを一ミリも気にする素振りを見せません。

 

彼が気にするのは、選手の将来だけです。バスケットボール選手としての能力を最大に引き上げることこそが、彼らの人生に最も大きな変化をもたらすことだと確信しているのです。彼は育て上げた選手を惜しげもなく在学中にNBAに送り込んでいきますが、そんな彼の指導を求めて全米から選手が殺到しているので、批判にさらされながらも、このモデルは回り続けています。ケンタッキー大バスケ部は今や完全にNBAのマイナー球団になっています。

 

番組内では、Calipariの教え子たちの多くがインタビューに答えていますが、彼らは「本気で取り組むことでどんな困難でも打開できることをCoach Caliから学んだ」と異口同音に答えているのが印象的でした。心からそう思っているようでした。そして、プロ志望の学生に形だけ単位を整えて大卒資格を手渡すより、こうした揺るぎない信念が得られる方がよっぽど意味のある教育と言えるのではないかという印象を私は持ちました。

 

このドキュメンタリーのタイトルは「One and not done」(1年で終わりじゃない)。これは、現在のNCAAに対する痛烈な批判であるようにも見えます。

 

現在、NBAは年齢制限を撤廃するためにNCAAと意見交換をはじめました。これは、今年発覚したNCAAバスケ界のスキャンダルにより生まれた動きです。プロ入りが有望視される高校生のトッププロスペクトに、有名大学やアパレルメーカーなどから賄賂が贈られていたことが明らかになり、FBIが捜査を開始したのです。

 

米国大学スポーツで収益を生んでいるのは、バスケとフットボールだけなのですが、これは両競技にはプロリーグ(NBAとNFL)のドラフトに年齢制限があるためです。そのため、高卒で即プロ入りできないため、ある意味で大学スポーツの利権が守られてきたのです。

 

しかし、NBAで年齢制限が撤廃されれば、トップ選手は大学に行かずに直接NBAに行くことになるでしょう。NBAもこれを見越して、今年更改された労働協約では傘下のマイナーリーグであるGリーグの選手待遇を改善していますし、最近はメキシコなど海外にもGリーグ球団を拡張する動きを見せています。これは、年齢制限撤廃後のNCAAとの人材獲得競争を見越した動きの様にも見えます。

 

大学スポーツのあるべき姿とは?」でも書きましたが、来年7月には18-22歳を対象にしたプロフットボールリーグ「Pacific Pro Football」も開幕する予定です。今後、今まで稼ぎ頭だった2競技でNCAAとプロリーグが直接的に競合していくことになるわけですから、米国における大学スポーツの在り方も変わっていくのではないかと思います。

SBAセミナー2本立て

顧問をさせて頂いているBリーグのファイナルに合わせて今月日本に一時帰国するのですが、それに合わせてSBAでもセミナーを2つ開催する予定です。その告知をさせて下さい。

1つは25日(木)の「ソーシャルスポンサーシップの可能性」。昨年くらいからこのブログでも何度か触れていますが、米国では10年少し前からスポーツ組織が社会課題の解決者としての自覚を強め、エンタメ競争環境でのValue Propositionを大きく変えています。そのきっかけを作ったのがNBA Caresなわけですが、日本でも同じような文脈からスポンサーシップの新しい形を提案できないかと考えています。

昨年頭にBリーグ幹部とNBAの表敬訪問に同行させて頂いた際、大河チェアマンから顧問を依頼され、その後、葦原事務局長から「とりあえずNBAを徹底的にベンチマークしたい」という相談を受けて、手始めにNBAの革新的な経営を象徴する取り組みとしてNBA CaresとTMBO(リーグ機構に設置されたクラブへのコンサルティング部署)の仕組みや歴史的な発展経緯を紹介させてもらいました。

あれから1年ちょっとたちますが、スポーツ組織がソーシャルイノベーションを主導する画期的なプラットフォームとして、今年1月に「B.LEAGUE Hope」が立ち上がりました。多分にNBA Caresを意識したものですが、良いものはどんどん真似すればいいですよね。損する人はいませんから。

スポーツの持つ可能性はソーシャルセクターからも近年注目されつつあり、僕も畑違いであれでしたが、こんなところこんなところでスピーチさせて頂く機会を頂戴したりしています。ソーシャルセクターの方々との意見交換などを通じながら、どのような形で仕組みを作るのがいいのか、ここ1年くらいは試行錯誤していたのですが、やはり事業の軸になる部分は民間(つまり、スポーツ組織と協賛企業)主導で行った方が良いのかなという印象を受けています。セミナー当日は、そうした体験談なども話せる範囲でお話しできたらと思っています。

民間主導のスポンサーシップ(企業協賛)という文脈で社会課題解決を考える、というのが「ソーシャルスポンサーシップ」という言葉の表すところです。日本の場合はまだ露出重視のメディア・ドリブンが主流なため、協賛企業の課題を解決するイシュー・ドリブンへの移行が期待されているところなのですが、イシューをもう少し広く捉えた(企業課題<社会課題)のがソーシャルスポンサーシップと理解すると、その進化の過程が分かると思います。

 

もう1つは、29日(月)の「学生スポーツのあるべき姿を考える」。これは、いわゆる「日本版NCAA創設」に向けて動いている日本が、100年先を行く本家NCAAの成功と失敗から何が学べるのかという内容です。

スポーツは日本を再興するか?」でも書きましたが、この話はもともとアベノミクスで2020年までにGDP100兆円を積み増すための10の「官民戦略プロジェクト」の1つにスポーツの成長産業化が入ったところから生まれた話です。その意味では、「大学スポーツで稼ぐ」という点から出発した取り組みでした。

この点については、スポーツ庁の「大学スポーツの振興に関する検討会議」の座長である小林至さんに先月SBAにもお越し頂き、日本版NCAA構想の要旨、今後の可能性や課題などについてお話頂きました。検討会議の最終とりまとめを見てみるとわかりますが、大学のガバナンス改革や学生アスリート支援、地域振興など、日本版NCAAでは「稼ぐ」部分に直接的に関与しない役割への期待が増しているようですね。

とはいえ、長期的には大学スポーツの事業化を目指す方向性が変わったわけではありませんので、極端な事業化へのかじを切って問題が噴出しているNCAAを他山の石として学ぶことには意味あるのではないかと思います。やはり、問わざるを得ないのは「教育機関がスポーツの事業主体になるべきなのかどうか」という点です。教育機関がスポーツビジネスの担い手にならない場合、どのようなシナリオが考えられるかなどについても、米国の事例などを交えながら当日議論できたらと思っています。

ESPNのレイオフに思うこと

米スポーツ界ではESPNのレイオフが話題になっています。

ESPNは4月末に約100名のスタッフを解雇したのですが、その中に大物アンカーや解説者、記者が含まれていたことや、レイオフのやり方が酷かったということがさらに話題を呼んでいます。まあ、FBI長官もいきなり解雇される国ですから個人的には驚きませんが、とはいえ自他ともに認める米スポーツメディアの雄であるESPNの非情な姿勢に、レイオフには慣れているアメリカ人も少しびっくりしているようです。

先週、知り合いのスポーツ記者とランチした時もこの話になり、やはりテレビや新聞といったオールドメディアに勤めている者は、このニュースは他人事とは思えないと言っていました。仲間内で「え、あの記者も解雇されたの?」という驚きが広がっているようです。米国では、一般的に給料が高い人材からレイオフされますが、それがPersonalな話題として自分事になると、やはり衝撃は大きいんでしょうね。

ESPNは今でも約8900万世帯にリーチを持ち、スポーツ専門テレビ局としては群を抜いた存在感を示していますが、OTTの隆盛によってコードカッティングが進み、過去3年あまりで購読者数を1000万世帯減らしています。ソーシャルメディアの登場でファンのコンテンツ消費形態が大きく変わり、「スポーツニュースはその日の夜にまとめて見る」というのは過去の物になってしまいましたね。これだけハイライトがソーシャルメディアのタイムラインにバンバン上がってしまうと、ニュースでまとめて見る必要自体がなくなってしまいます。

米国では、テレビ局の放映権はブラックアウトルールによって守られていますから、OTTサービスより優先されるわけですが(テレビ中継とネット配信が重複する試合では、ネット配信が遮断される)、試合中継以外の周辺コンテンツをネットを交えて上手く使っていかないと、テレビだけでは先細りになってしまいます。

先月、Bリーグのスタッフと一緒にアトランタのTurner Sportsに行ってきたのですが(Turner SportsはNBAとJVでNBAのデジタルコンテンツ制作を行っている)、TSのCOOも「TNTではNBAの試合を週に2試合オンエアしているが、それだけでは賞味4時間のタッチポイントしか作れない」として、テレビの会社だというのにテレビの限界に触れた上で、テレビにトラフィックを戻す仕掛けとして他のメディアをポートフォリオとして持っておくことの重要性を指摘していました。

まあ、ESPNもテレビだけで見たら契約者数は減少していますし、これからも歯止めがかかることはないでしょう。しかし、親会社のDisneyはMLBAMから分社化したBAM Techに10億ドル出資するなど、OTTでのサービス拡充を視野に抜け目なく動いています。テレビとしてのメディアは縮小するでしょうが、それをどう補っていくのかが気になりますね。

大学スポーツのあるべき姿とは?

日本では政府肝いりで大学スポーツのビジネス化が推進されています。日本が参考にしているのが米国のNCAAですが、実は今このNCAAのビジネスモデルが大きな過渡期を迎えています。

このブログや日経ビジネスのコラムでも何度か触れていますが、昨年はオバンノン訴訟が結審し(最高裁が不審理を決定)、NCAAのアマチュア規定(学生の本文は勉学であり、それ故プレーの対価としての報酬の支払いを禁じる規定)が司法審査により違法であることが確定した年になりました。また、つい先日NLRBの法務顧問が私立大学フットボール部の学生選手の労働者性を認める文書を公表し、大学スポーツ界に波紋が広がっています。

現在、米国の大学スポーツでは学生にプレーの対価を支払うことが前提となるモデルへの転換が求められています。今後は、「学生に報酬を支払ってまで大学がスポーツをやる意味(教育的価値)が本当にあるのか?」という点が問われていくことになるはずです。

それに関して、最近面白い動きがありました。今年スーパーボウル進出を決めたニューイングランド・ペイトリオッツのエースQB=トム・ブレイディ選手の代理人としても知られるDon Yee氏が、2018年から大学スポーツと競合するプロリーグ=Pacific Pro Footballを設立すると発表したのです。

新リーグは18歳から22歳までの若手選手を対象にした育成リーグで、とりあえずCA州に4チームを設立して年6試合の公式戦を行う構想のようです。各チームのロースターは50名で、MLSのようにシングルエンティティで選手はリーグと契約を結び、各チームにアサインされるようです(つまり、ドラフトはない)。プロリーグですから、もちろん報酬もあり、平均年俸は5万ドル程度になるとのこと。試合会場は、CA州の大学施設を借りる予定だそうです。

リーグの位置づけとしては、大学でプレーできなかった選手がNFLに挑戦するための登竜門になるレベルを想定しているとのことです。まあ、いきなりNCAAにガチンコで競合するのは難しでしょうが、長期的に見た場合、非常に面白いValue Propositionだと思います。

というのは、現在米国の大学スポーツで儲かっているのはフットボールと男子バスケだけですが、これはプロ側に年齢制限があって(NFLでは高卒後2年、NBAは1年経たないとプロ入りできない)、高卒で即プロに行くことができないためです。そのため、トップ選手の中には本当は行きたくもないのに仕方なく大学でプレーして、年齢制限をクリアしたら大学を中退してプロ入りする選手が少なくありません。

当然大学側もこの不健全な状況を面白くは思っておらず、「勉強する気のない学生は大学に来てもらわなくてもいい」「こうした不健全な状況を生み出しているのはプロ側が設置した年齢制限が原因」という立場を取っています。実際は、年齢制限があるから大学スポーツの利権が守られていると見ることもできるわけですが、教育機関としては建前であってもこう言うしかないわけですよね。

そこにできたのがPacProです。すぐに大学スポーツと比肩するレベルで設備やコーチングスタッフなどを揃えるのは難しいでしょうが、仮にNCAAと同等レベルに成長してきた場合、高校トップ選手の中には、報酬が限定され、やる気もない勉強を強いられる大学に行かずにPacProを選ぶようになる選手も出てくるでしょう。

前述したように、PacProは平均5万ドルの報酬を考えているようです。現在NCAAで受け取ることができる奨学金などの対価は5000ドル前後と言われていますから、金銭的リターンを考えるだけなら、PacProの方が断然いいわけです。もちろん、アマチュア規定が違法となった今、学生への報酬が支払われる方向に向かうのですが、そうはいってもいきなり数万ドル単位で報酬が跳ね上がるとも思えません。

このような選択肢ができると、学生選手のスタンスは二分化していくかもしれません。本気でプロを目指すトップアマは、大学に行かずにPacPro経由でNFLを目指すようになるでしょう。それより下のレベル(プロになれるか微妙なレベル)の選手は、学位も取って将来に備えたいと思うでしょうから大学に行くでしょう。そして、大学が教育機関としての使命にこだわるのであれば、これが健全な姿です。

もしこの動きが本格化してくると、NCAAのプレーレベルは下がり、育成プロリーグに有望な人材が集まり、現在のNCAAのポジションに取って代わるようになるかもしれません。こうなると、大学機関の中でもNCAAを離脱してセミプロ化しPacProに乗り入れる大学(特にパワー5カンファレンス)と、文武両道にこだわるものに分かれて行くかもしれません。まあ、10年20年というスパンの話ですが、今このマーケットがぽっかり空いているのです。

この問題の本質は、スポーツがビジネス化すると勝利至上主義に陥りやすくなる。そして、勝利至上主義と教育には利害相反が起こりやすいということです。「勝てばいい」という組織文化が行き過ぎると、リクルーティング活動に売春婦をあてがったり、学術不正が行われたり、金品が密かに贈られたるなどの教育的価値と相反する不祥事が横行するようになります(今のNCAAがまさにこれです)。また、経営不振に陥った大学が不人気競技の運動部を廃止するという話もNCAAでは珍しくありません。

米国から学ぶことがあるとすれば、大学スポーツのビジネス化を目指す日本の教育機関は「学生選手に報酬を支払う用意があるのか?」という問いにいつか答えなければならなくなる日が来るかもしれないということです。米国のように学生から訴訟を起こされる可能性も否定できません。そして、ビジネスと教育のジレンマの中で、教育機関としての存在意義をどう保つのかが問われることになるでしょう。ビジネス化に成功して大きなお金が動くようになれば、この議論は避けて通れません。

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