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中空構造日本の深層

ふと考えると、もうアメリカに来てから8年目に突入しています。今でも忘れませんが、片道切符の航空券でボストン空港に降り立ったのが2000年8月2日。翌朝ホテルの部屋で目覚めた時、見慣れぬ天井を眺めていて、何かとんでもないところに来てしまったのではないかという猛烈な不安に襲われたのを覚えています。

アメリカに来たから、というよりは日本を離れたからだと思うのですが、それにより見えてきたこと、考える機会を得たことがたくさんあります。そして、これが僕がアメリカで暮らすようになって手に入れた最大の財産だと思っています。

考える機会を得たことで、今でもぼんやり考え続けていることの1つが、「日本人としての自分のアイデンティティー」です。何だか漠然としていますが、実際の生活上の疑問に置き換えると、「自分はどのようなことをして生きていると幸せを感じるのだろう」ということです。「日本人としての」というのを敢えてつけたのは、自分が日本人であることが自分の思考形態や価値観に大きな影響を与えており、これ抜きでは考えられないからです。

なんだか哲学みたいなつかみどころのない話になってきましたが、僕も日本で暮らしていた頃はこんなこと考えませんでした。考える必要がなかったのです。今思えば、日本に暮らしている時は、何かに所属していることにアイデンティティーを感じていて、それはそれで満たされていたのだと思います。部活とか会社の同期とか。しかし、アメリカは基本的に個人が立って生活していく国ですし、僕がこちらで特定の大きな日本人グループに所属していないということもあって、そういう手法は通用しません。

いい機会なので、今は思いっきりこのことを考えてやろうと思い、いろいろな本を乱読しているのですが、中でも河合隼雄や村上春樹の本は非常に面白い視点を僕に提供してくれます。

河合隼雄氏は言わずと知れた、日本のユング派精神分析医の第一人者。村上春樹氏の名前は、この流れでは意外かもしれませんが、実は彼は一時期アメリカで暮らしていたことがあるのですが、その頃の著作(「ねじまき鳥クロニクル」や「やがて悲しき外国語」など)の裏のテーマは、日本人のアイデンティティーなんだと思います。「村上春樹、河合隼雄に会いに行く」なんていう著作もあるくらいで、両者の問題意識には共通点があります。

で、最近読んだ本で面白かったのが、河合氏の「中空構造日本の深層」。

この中で、河合氏は日本人の心の深層構造を「中空均衡型モデル」、欧米人のそれを「中心統合型モデル」として比較・整理していくのですが、これが今僕が感じている日米の社会的差異の根幹にあるように思え、非常に興味深く読み進めました。

「中空均衡型モデル」とは、僕の理解では、大事な部分を敢えて空白とし(例えば、いわゆる「みこし」のように、皆で担いでいるが、誰がみこしを進めているのか分からない)、その周辺にいろいろな考えを配置してバランスを取るモデル。一方で、「中心統合型モデル」は自然科学主義を中心に責任の所在を明らかにし、全てを合理的に整理していこうとするモデル。

2つのモデルに属す人々の心理的な大きな違いの1つは、本書の言葉を借りれば「合理的に思考し判断し、それを個人の責任において主張する強さ」ということになります。中心統合モデルにはこれがあって、中空均衡モデルにはこれがない。

なるほど、「中空均衡型社会」で育った僕が中心統合型社会で違和感を感じるのも当たり前というわけです。で、これ一見するとスポーツにあまり関係ないようにも見えますが、アメリカのマーケティング手法を日本に取り入れる際は、その前提となっているファンの行動形態に、やはり同様の違いがあると考えるのが自然なので、こうした社会の違いを理解していることが実は有効なのではないかと感じます。

例えば、応援方法。アメリカの応援は基本的に「1対1」です。いいプレーだと思えば、周りがどう思おうが立ち上がって拍手するのがアメリカ流。一方、日本は「N対1」の応援で、皆で一体になって応援します。応援団の調子に併せて応援するのが日本の特徴でしょう。これなどは、中心統合型と中空均衡型の違いが見事に出ている例だと思います。なので、あまり日本にアメリカ式の応援手法をそのまま導入しようと思っても難しいと思います。

なんだかぐちゃぐちゃになってしまいました。あまり頭の中で整理できてないことを徒然なく書くのは良くないですね。

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comments

はじめまして。

今日、ちょうどオリックスVS楽天をスタジアム観戦しながら、日米の応援方法について考えていました。

個人的には鳴り物無しで、いいプレイを待ちながらゆっくり見る方が好きですが、必ずしも日本では流行らないだろうなあ、と。色々な文化的要素を含みつつ成り立っているそれぞれの応援なのですね。

いつも拝見しているブログと自分の今日の思考が同じだったので、嬉しくてコメントしてしまいました。これからも楽しみにしています。

  • kwm
  • 2008/03/27 1:35 AM

kwmさん

僕も個人的には鳴り物なしで観戦するアメリカスタイルの方が好きです。メジャーを観ていると、川原で草野球を見ているような、身近で素朴な感じを受けます。この感覚がすごく好きです。共感して頂き、ありがとうございます。

  • tomoyasuzuki
  • 2008/03/27 5:21 AM

はじめまして。

とても共感します。
私もアメリカで生活していますが、こっちに来てから、「日本人として」物事を考えることが多々あります。
意識してるのではなく、多分環境が自分の価値観や物のとらえ方を変えてるんだろうな、と思います。

日本はアメリカと違い、グループ意識が強すぎます。(文化だとは思いますが…)
アメリカのようにもっと個々を重視すれば、日本でも「1対1」がcommonになると思います。

今の日本の駄目な文化を、スポーツで変えられたら最高ですね!

  • AS
  • 2009/10/30 3:09 AM
   

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