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連帯責任の由来

半年くらい前に「連帯責任の法的根拠」というポストで日本の学生スポーツ界特有の連帯責任について触れました。この時は、名門近畿大学ボクシング部が2年生の部員2名による強盗事件をきっかけに廃部になってしまったことを受けて書いたものでした。

実はつい最近、アメリカでもよく似たような事件が起こりました。テネシー大学フットボール部の1年生3名が強盗事件を起こして逮捕されました(うち1名は後日嫌疑不十分で容疑を取り下げ)。深夜、大学近くのガソリンスタンドでモデルガンで給油中の客を脅かして所持金を奪ったのです。テネシー大学といえば、現インディアナポリス・コルツのQBペイトン・マニング選手など多くのNFL選手を輩出しているフットボール名門校です。今回の事件を受け、同校は逮捕された部員2名を退部処分としました。

近大とテネシー大のいずれのケースも、大学の看板スポーツ部の未成年部員による強盗事件という点で共通していますが、近大ボクシング部は廃部処分、テネシー大学フットボール部は逮捕された部員の退部処分という対照的な処分内容です。

僕は事の善悪をここでどうこういうつもりはありませんが、似たような日米の事件を比較した際、テネシー大学の件では連帯責任のような議論には全くなっていない点が非常に興味深かったのです。

で、そもそも「連帯責任」って何なんだろうと考え、日本で16世紀位から組織されていた「5人組」のような社会制度がその背景にあるのだろうかなど、考えを巡らせていました。その時、以前「中空構造日本の深層」でも触れた、日米の伝統的な思考形態の違いがこの背景にあるのではないかと思い、もう一度読み直しているのですが、その中で著者の河合隼雄氏が図らずも日本のスポーツ界の連帯責任に触れていたので、わが意を得たりと思ったのでした。以下、該当部分を引用します。

たとえば高校野球の大会などを見ていると、もちろん日本人の代表だから仕方がないとは言うものの、あまりの母性集団の戦いであるのにウンザリすることが多い。スポーツによって「精神」を鍛えるというのだが、その「精神」は著しく父性を欠いているのである。野球部員以外が起こした不祥事によって、野球部が連帯責任とやらで出場停止される考えは、西洋のスポーツマンにはおそらく不可解のことであろう。母性集団では、個人の責任は極めて曖昧であるが、連帯はどこまで広がるか判断が難しいので、連帯責任は途方もなく広がってゆくのである。

ここで河合氏が「母性」と言い換えているのは、日本独特の「中空均衡型モデル」(敢えて責任の所在を曖昧にしておくことで対立概念を包み込みバランスを取る思考形態)、「父性」と言っているのは欧米に見られる「中心統合型モデル」(自然科学の合理性を中心に物事を全て合理的に整理していこうとする思考形態)のことです。前者では、誰が何に対してどのような責任を負っているのかが曖昧なため、個人が問題を起こした時にその責任がどこまで波及するのがが不明確ということなのでしょう。

ただし、繰り返しますが、「中空均衡型モデル」と「中心統合型モデル」のどちらが優れているかというのはなく、その長所・短所が状況によって違って現れるということだと思います。著者の河合氏もどちらが優れているとはもちろん言っていません。

このように考えると、連帯責任という考えは、有史以来日本で脈々と積み上げられてきた慣習的思考形態に根ざしていると言えるのかもしれません。

【関連情報】
Three Tennessee football players charged in robbery attempt(USA Today)
Robbery Charges Dropped Against Tennessee's Janzen Jackson(Fanhouse)

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