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2度目の311に際して思うこと

NYで昨日2度目の311を迎えました。

毎年、この時期は日本から大学生がNYのスポーツビジネスの現場を視察に来るのですが、2年前はちょうど一行がツアーを終えて成田に着陸する30分前に地震が起こりました。

朝起きて「無事に到着したかな」と思ってエアライン会社のHPで飛行状況を確認すると、「名古屋に迂回」とでているではないですか。何が起こったんだと思って、ニュースを見て初めて事態を把握しました。母国で起こった壊滅的な自然災害を目の当たりにし、1週間ほど仕事が手につかなかったのを覚えています。あれから2年。

今年の311はちょうどツアーの最終日に当たりました。以前、「命の使い方の選択」でも書きましたが、スポーツビジネスツアーと銘打っているツアーではあるのですが、その真の目的は「自分のこれからの人生について深く考えてもらうきっかけをつかんで欲しい」というものです。

最終日は1週間のツアーで感じたこと、学んだことを各自が発表します。最後に引率した先生方や運営スタッフもコメントを共有するのですが、ちょうど311と重なったということで、僕もコメントを考えながらいろいろなことが頭の中を巡りました。

311では、多くの方が亡くなられました。犠牲者の中にはお年寄りだけでなく、幼稚園児や赤ちゃんも含まれています。亡くなられた方全員が無念だったに違いありません。

ツアーの参加者は20歳前後の学生です。自分もそうでしたが、大学を卒業するまでは受験をベースに回りと同じ環境に身を置いて周りとの比較において自分の位置を確認する生活が基本です。それは、例えは悪いかもしれませんが、ベルトコンベアに乗せられているのと同じです。

しかし、社会に出た瞬間に、このベルトコンベアがなくなります(なくならない会社もありますが、これからは減っていくでしょう)。

学生の皆さんが、日々の生活の中で直面している部活や就活、就職後に直面するであろう仕事などにおいて悩みは尽きません。人生とは悩みとの遭遇によって形作られていくといってもいいかもしれないほどです。でも、皆さんが、私たちが直面する悩みなど、311で亡くなられた方々の無念さに比べれば何でもありません。

悩みとは、自分が成長しているから、ステージが変化するから直面するものです。それは、見方を変えれば「生」を感じられる機会だと思います。「命」を実感するチャンスです。だから、不本意にもこうした機会を奪われてしまった方々のためにも、私たちは一瞬一瞬を大切にして生きなければならないと思います。

実は僕は19歳の時に親友を病気で亡くしました。僕は中高一貫の男子校に通っていたのですが、この時の仲間はほとんど兄弟のような感じになります。私が初めて直面した他人の死は、ほとんど兄弟を失ったに等しいものでした。

彼はとてもいい奴で、頭も良く、クラスの人気者でした。彼が生きていれば、今は日本を変えるような仕事をしていたに違いありません。でも、その可能性は病魔によって絶たれました。僕はそのことが無念で仕方がありません。しかし、彼はもっと無念だったに違いありません。

その時僕は、その時の自分なりに「生きている」ことの意味について考えようとしました。そして、1つの原則を決めました。それは、「自分の人生の選択肢は、必ず自分で考えて結論を出す」というルールです。

これは、他人のアドバイスを聞かないという意味ではありません(笑)。いろいろな声を取り込みながらも、他人に決断を委ねず、最後に自分が100%責任を引き受けて決めるというものです。

彼の死をきっかけに、生きること、死ぬことの意味についていろいろと考えるようになりました。今でも考え続けています。残されたものが、先立ったもののためにできることは、せめて自分の命は自分らしく大切に生ききるということなのかもしれません。それが、彼への最大の供養になるのでは思っています。私の人生は彼に導かれているのかもしれません。

僕はこれまでの人生で自分の内面と向き合い、深く対話することになった機会が2回あるのですが、最初がこの時でした。人生の儚さを目の当たりにして、他人との比較で幸せを定義する生き方は空虚だと感じるようになったのです。つまらない虚栄心より、大切にすべきことがほかにあると感じたのです。

当時は、武者小路実篤や山田かまちの詩をむさぼり読んでいました。今思えば、この時の経験が今の自分の行動様式の核にあるような気がします。

武者小路実篤は有名ですが、山田かまちを知らない人は多いかもしれませんね。かまちは17歳で夭折した天才で、BOΦWYの氷室京介氏などと同級生でした。死後に大量のデッサンや水彩画、詩などが発見され、その才能を世に知らしめることになりました。17年という短い生涯を奇跡のように駆け抜けたアーチストです。

多くの悩みを抱える学生や社会人の皆さん、311で残され生きる意味を改めて問われている我々全てに、当時より愛読しているかまちの詩を捧げます。久しぶりにかまちの詩を読んで、僕も改めて生きる力が湧いてきました。

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かまち、おまえは
人に好かれるか好かれないかということで 
生きているのではなかったはずだ。 
おまえは、 
生きる。ただ、自分の生き方を貫く、それ 
ひとつだけのために。 
おまえは裸、 
たったそれだけ、おまえの心しか 
この世にはない。 
おまえの生き方をつらぬく。 
消えるまで、生命が消えるまで 
全ての力を出し切って、生ききる。 
それがおまえの生き方だ。 
おまえの生き方をつらぬけ、 
それは意地ではない。 
美しさだ。 
今までは人の言うことを聞きすぎた。 
みじめな気持ちになり、 
仲間が欲しくなり、 
ろくでもないやつを 
仲間だと思いこむ。 
そこからおまえがくずれていく。

かまち、
おまえは自分をもっと大切にしろ。 
激しく美しく生きろ。 
みせかけや、その時のいくじなしなみじめ 
さは、軽く、安いものだ。 
激しい美しさ、真の叫びこそが美しい。 
くだらん連中に妥協するな、 
おまえにはおまえがある。 
人のことは考えず、 
自分の生き方をつらぬけ、 
輝く激しさだけを信じろ。 
今を信じろ、 
自分を信じろ、 
ただその燃える一本の生命を信じろ 
おまえは美しい。 
それはだれが何を言おうと、 
変わることのない偉大な真実だ。 
人に悲しまされるな。物事に悲しまされるな。 
おまえは生きることを生きろ。 
おまえは再びおまえをつかめ。 
おまえは眠っていた。 
それをゆり起こして、 
さあ、再びおまえを生きるんだ。
再びおまえを! 
妥協は敵だ。 
おまえはおまえしかないのだ。 
おまえがおまえでなくてどうする?!!? 
おまえは生きることを生きろ、 
昔を思い出せ!

(「17歳のポケット」集英社より)
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