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米サッカー協会によるヘディング禁止措置の衝撃

今週月曜日、米サッカー協会(USSF)が10歳以下の選手のヘディング禁止などを含む、脳震とうに対する安全策を発表しました。これは、昨年起こされた訴訟に端を発したものです。

訴訟では、協会が脳震とうの危険性を知りながらも適切な対応と取らなかったとしてその責任を問うものですが、米国ではこうした脳震とう訴訟はサッカーに限らず、たくさん起こっています。

特に脳震とうの危険性を早くから指摘されていたのがフットボールで、既にNFLはOB選手らにより起こされた訴訟に和解しており(2013年に公判開始、2015年に和解成立)、その和解金額は7億6000万ドル(約912億円)を超えます。NCAAなどでも同様の訴訟が起こっており、これがアイスホッケーなどにも広がりを見せています。

米国では、こうした脳震とう訴訟がフットボールから他競技に、トップ(プロ)から大学、高校などのアマチュアボトム層に急拡大しています。脳震とうが米国のスポーツ界を変えつつある状況については、過去にYahoo!や日経ビジネスにも寄稿しています。
アメリカの試合から迫力が消える?〜けが防止に走る米スポーツ界の裏事情(日経ビジネス)

これまでスポーツにおける脳震とうの危険性については、医学データもなく検証されずにいたのですが、Yahoo!のコラムにも書きましたが、UCLAによる最近の調査では、脳震とう直後の選手の脳は植物人間の脳と同じ状態ということです。そして、最初の脳震とうが完治する前に再度脳震とうが起こると脳に致命的なダメージを与える「セカンドインパクト症候群」も分かって来ています。

こうした中で、各スポーツ統括組織や学校管理団体などが脳震とうの予防や起こった際の対処(サポート体制の充実や復帰手順の明確化など)について積極的に対応を行うようになってきたのです。米国の場合、危険性を知りつつ対処を怠ると、即訴えられるので、訴訟リスクが大きな原動力になっています。

で、話をUSSFに戻すと、詳細な安全対策は今月末に発表されるようですが、10歳以下の子供はヘディングを禁止とし、11歳から13歳の子供は練習中のヘディングの回数に制限をかけるとのことです。この安全指針は、USSFの傘下にあるアンダーの代表やアカデミー、MLSのユースチームに適用され、傘下にない場合は推奨と言う形になるようです。

米国でのサッカーの競技人口は世界一ですが、その大きな理由の1つは「サッカーは安全」という安全神話が親の間にあったためでした。しかし、データで検証してみると、実はイメージ程安全ではなく、脳震とうは特にヘディングで起きやすく、また男子サッカーより女子サッカーの方が脳震とうリスクが高いことなども分かって来ています

サッカーは協会傘下に全ての関連組織がまとまっているという事情もあったのだと思いますが(USSFが訴えられれば、結果的に米サッカー界全体が変わらなければならなくなる)、米サッカー界は非常に素早い対応を取ったと思います。こうした訴訟が他のスポーツにも広がって行けば、ユースではフットボールでタックルなしになったり、野球でスライディングが禁止されるということも、将来的には大いに有り得るのではないかと思います。

日本のスポーツの潜在力をグローバル視点から検証する

僕がアメリカに拠点を置きながら日本のスポーツ界の成長のために日本のクライアントの皆様にアドバイスをするという、ちょっと変な仕事の仕方を始めて15年が経ちます。
 
僕が「アウトサイダーとしての視点」にこだわっているのは、生活習慣や文化の異なる米国のスポーツビジネスと日本を比較すると、多くの違いがあり、その違いを具体的に知ると、新たな発想が沸きやすくなるからです。

弊社の会社理念のところにも書いていますが、僕はアメリカの取り組みが「正解」で、それを日本にそのまま導入しようとは思っていません。絶対的な「正解」などないですし、あるとしても、それはその国なり地域でスポーツと実際に触れている人が決めるべき話だと思うからです。地域により人は違いますから、自ずと求めるべき打ち手は違ってきます。

違うものを見ることで刺激を受け、今までになかった発想が生まれることは良くあることです。僕が15年もこのような仕事を続けてくることができたのは、そこに価値を見出してくれたお客様がいたからです。

日本を出て初めて分かったのは、想像以上に日本には言語的な断絶があることです。英語ができれば手に入れられる有益な情報は世の中に溢れていますが、日本ではなかなかそれが手に入れにくい。

世界的なトレンドと日本の動きが違っている局面というのは、スポーツビジネスに限らず少なからずあると思いますが、言語的な断絶により、なかなかそれに気づくことができない(気付くのが遅れる)というのは、事実だと思います。今やネット上の情報の約55%が英語ですが、日本語は5%に過ぎません。

別に「海外と日本に違いがある」=「日本は遅れている」とは思いません。違いを知った上で自覚的に歩みを選択していれば良いと思います。しかし、実際は違いを知らずに無自覚に選択しているケースも少なくありません。

ただ、逆に言えば、世界的な趨勢と日本との違いを丁寧に比較・整理すれば、今まで気づかなかった潜在力を発揮できる領域をまだまだ発掘できると思うんですよね。僕はそういう信念で仕事を続けてきました。

そして、ちょっと気の早い話ではあるのですが、こうした「世界の中での日本のスポーツ」という視点で日本のスポーツビジネスを俯瞰的に語れる専門家をゲストに招き、来年の2月にセミナーを開催することにしました。

国際スポーツの現場から見えるスポーツの潜在力とビジネストレンド
 〜日本を出て初めて見えてきた、CSR・アクティベーション時代のスポーツビジネス〜

今回は、ゲストとしてField-R法律事務所の山崎卓也弁護士と、FIFAコンサルタントの杉原海太さんをお迎えします。僕もモデレーターとして対談に参加するので3人でしゃべる感じになります。

このセミナーは個人的にとても楽しみにしているんですよね。山崎さんにお会いしたのはもうかれこれ12〜13年程前になるでしょうか。当時は日本プロ野球選手会の顧問弁護士として活躍されており、今はその活動の幅を更に海外にも広げ、FIFA紛争解決室(DRC)仲裁人や国際プロサッカー選手会(FIFPro)アジア支部副代表として世界中を飛び回っています。

杉原さんは、その山崎さんにご紹介頂いた仲です。世界で10人ほどしかいないFIFAコンサルタント(日本人としては杉原さんだけ)として、世界各国のサッカー協会・リーグ・クラブのガバナンス改善、戦略立案、業務改革のサポートをされています。文字通り世界を股にかけて活躍されています。

僕の知る限り、お二人は日本人で最もグローバルに活躍されているスポーツビジネスパーソンではないかと思います。「世界の中での日本のスポーツ」を語るのには打ってつけのお二人です。

二人とも半分くらいは日本にいないのではないかという位忙しく海外を飛び回っているのですが、意外に日本で3人で良く飲むんです(笑)。で、ふたりとも国境、競技、業界インサイダー/アウトサイダーという枠を超えて様々な知見をお持ちで、3〜4時間くらいあっという間に経ってしまうのですね。しかも、それが無茶苦茶勉強になるのです。

そして、お二人と話すたびに日本のスポーツ界にはまだまだ可能性があるんじゃないかなーという思いを強くするわけです。というわけで、皆様にも同じような視点からスポーツの潜在的価値を知って欲しいと思ったのが、このセミナー開催の趣旨というか、きっかけということになるでしょうか。

以下が、このセミナーに参加する上での思考の補助線になるかもしれません。
 
・勝利がスポーツビジネスの最高の商品ではなくなっている? 〜勝てばいい時代の終焉〜
・一見、スポーツビジネスと関係なさそうなCSRが重要性を増しつつある理由
・巨大スポンサーが国際競技団体にかけるプレッシャー 〜アクティベーション時代のスポンサーシップ〜
・五輪ほかメガスポーツイベントにおける「サステナビリティ・ビジネス」
・グッドガバナンスとスポーツ賭博・インテグリティをめぐる、国家と国際競技団体の世界的攻防
・欧米至上主義からのシフトの可能性 〜多様性の尊重は、アジア人の武器となりうるか?〜
・「自分の頭で考える」時代のスポーツビジネス 〜「体育」を「スポーツ」にするために

僕もモデレーターとして参加しますが、自分にとっても気づきの多いセミナーになるだろうなと今からワクワクしています。

戦力均衡の重要性(その2)

先日、「戦力均衡の重要性」で定期的にファンに「優勝するかもしれない!」という期待感を抱かせることが重要であることに触れました。あれから、メッツはあれよあれよと言う間にワールドシリーズまで上り詰めてしまいました。

今、マンハッタンではスポーツバーやレストランは「メッツ、メッツ」で大騒ぎで、開幕したNBAやNHLの陰が薄く感じるくらいです。もうこの余韻でメッツファンはあと10年位は楽しめるかもしれません(笑)。

ところで、あのポストをきっかけに知人と意見交換したりする中で、戦力均衡に対して少し考える機会ができました。そして、結果的にはスポーツリーグ経営における戦力均衡の重要性は相対的に低下しているのではないか、と思うに至りました。

理由は2つあります。

第1の理由は、近年の米国スポーツビジネスにおいて、「売り物(商品)」の定義が変わってきたためです。従来まで、スポーツビジネスの商品といえば「試合(観戦)」でした。しかし、テレビの大型化・高精細化・低価格化により、テレビ視聴でも十分に迫力ある観戦ができるようになってきたことや、若年層のエンタメ消費形態が変化し、1つの娯楽をじっくり楽しむより、複数の娯楽を並行してゆるく楽しむようになったきた結果、試合に足を運んでくれるコアファンにとって、テレビ視聴と差別化し、若者のニーズにフィットするために試合観戦以外の要素がより重要になってきています。

そのため、もちろん観戦機会の提供は本質的で中心的な提供価値なのですが、2〜3時間の滞在時間中のファン体験を総合的に捉え、ファン体験を構成するあらゆる側面(駐車、入場、観戦、回遊、飲食物・グッズ購入、トイレなど)でのエンタメ性を上げて行く方向に施設のコンセプト設計やサービス提供がシフトしてきています。

これにより、試合観戦がファン体験に占める相対的な比率が下がってきているのですね。極端に言えば、試合に負けても楽しめる(顧客満足度が下がらない)のが究極的なファン体験ということになります。

第2の理由は、ビジネスの国際化の進展です。国内のファンは基本的にフランチャイズを軸にした「地域的な絆」を持つファンが大多数です。そして、そのファンにとっては継続的に応援する上で勝ち負けが大きな要素となります。

しかし、海外のファンは「地域的な絆」を持たないため、応援軸としては最高のパフォーマンスを提供する「最強チーム」を応援したいという動機が主になるのではないかと推測します。そのため、ヤンキースやマンU、バルサといったメガブランドの一人勝ちの状況が生まれやすいわけです。

つまり、海外市場では戦力均衡により各チームの戦力を拮抗させるよりは、むしろその逆に圧倒的に強いチームを作る方がファンを得やすいのではないかと思うわけです。

ところで、先日、SBAのセミナーでNPBEの荒木さんと対談した際(お蔭様で満員御礼でした!)、荒木さんが面白いことを言っていて「なるほどなぁ」と思いました。荒木さん曰く、世界のスポーツは「ドメスティック・スポーツ」「インターナショナル・スポーツ」「グローバル・スポーツ」の3つに大別できると。

「ドメスティック・スポーツ」は国内のみを主な市場としているスポーツで、日本のプロ野球やJリーグがここに該当します。「インターナショナル・スポーツ」とは、海外市場も事業対象になるものの、基本的に国内での売り物を海外でも横展開しているスポーツです。基本的に、米国4大スポーツはここに入ると思います。最後に「グローバル・スポーツ」ですが、これは海外市場もビジネスになり、かつ海外では売り物が発展的に展開されるスポーツです。ワールドカップなどがこれに該当しますね。

で、それぞれのモデルで戦力均衡の重要度を考えると、ドメスティックに近い方が相対的に重要なんだろうなと思います。戦力均衡とは、事業の外部環境に結構左右されるコンセプトなのかもしれません。

とはいえ、国際化が進展しようと事業の核になるのは国内ビジネスですし、商品価値を構成する要素が多様化しても、その本質的で中心的な価値は勝敗であることに変わりはないですから、戦力均衡が不要になるということは、少なくとも米国の閉鎖型スポーツに限って言えばないだろうなとは思います。

プロスポーツ選手のメンタルヘルス

ワイルドカードPOで負けてしまったヤンキース。ご存知の通り、マー君が先発し、好投したものの打線の援護なく0-3で敗れてしまいました。

実はこの試合の前日、ヤンキースの左のエースのCCサバシア投手が自分がアルコール依存症であり、リハビリ施設への入院が必要なことを告白しました。前代未聞のことです。このため、プレーオフはもちろん全休となる予定でした(残念ながらWCで負けてしまいましたが)。

メディアの知人から聞いたのですが、ヤンキースの番記者ですら寝耳に水だったそうです。

しかし、数字で天国と地獄が決まるプロスポーツ選手は、普通の人には考えられないプレッシャーの中で戦っており、またアメリカなら遠征や時差の関係で多くの選手が睡眠障害に悩まされていると聞きます。こうした過酷な環境の中でサバイブを求められるプロスポーツ選手には、アル中やうつ病などを抱えている選手が少なくないであろうことは想像がつく話ではあります。

MLBにもこの手の逸話はたくさんあります。例えば、最近ならレンジャーズのジョッシュ・ハミルトン(2010年のアメリカン・リーグMVP)はアルコールと薬物の依存症だったことを告白していますし、98年に完全試合を達成したヤンキースのデビッド・ウェルズは自伝の中で登板時は酔っていたことを暴露しています。古くは、MLBで唯一ワールドシリーズで完全試合を達成したドン・ラーセン(こちらもヤンキース)も登板当日の朝まで酒を飲んでいたとか。

ただ、プロスポーツが夢を売る仕事だけに、こうした内情が明るみになることはあまりありませんでした。

しかし、今月に入り衝撃的な調査結果がFIFPro(国際プロサッカー選手会)から報告されました。11か国の約800名の現役・元選手を対象に行ったリサーチにより、以下の事実が明らかになったのです。

・3割を超える選手に、過去1か月間にうつ病の症候や不安があった
・2割を超える選手が睡眠障害を訴えた
・重症とうつ病の相関関係が認められた
・3回以上重症を負った選手は通常の2〜4倍のメンタルヘルス上の問題を報告する
・アルコールの乱用は引退すると急増する(9→25%)

これに呼応して、ニュージーランドのサッカー界で画期的な出来事がありました。サッカー協会と選手会との間に結ばれた新労使協定に、選手のメンタルヘルスに関する条項が盛り込まれたのです。これにより、代表選手が国際マッチに召集される際にはチームドクターが個別面談を行い、メンタルヘルス悪化の兆候があればカウンセリングが提供されるようになるそうです。

超人の様に見えるプロスポーツ選手も一人の人間です。メンタルヘルスを病んでしまった選手が適切な処置を受けられる環境が今後より一層求められることになるでしょう。

戦力均衡の重要性

日米ともに、プロ野球、MLBのプレーオフ進出チームが決まりつつありますね。

日本では東京ヤクルトスワローズが14年ぶりにペナントを制しました。スワローズ関係者の皆さん、おめでとうございます!パ・リーグはホークスが圧倒的ですね。

NYでもメッツがまさかの地区優勝で(失礼)9年ぶりにPO進出を決め、ヤンキースもワイルドカードの1日POに滑り込みました(明日はマー君が先発しますね。凄いです。この1日POは文字通り背水の陣ですから、無茶苦茶盛り上がります)。

メッツは毎年夏過ぎには終戦になるのが恒例でしたし、ヤンキースもここ数年低迷していたので、秋になると早々にNYのスポーツファンの興味はフットボールやバスケットボールに移って行くのが常でした。僕は別に熱心なメッツファンでもヤンキースファンでもありませんが、でも地元のチームがPOに出るというのはいいもんですね。

言うまでもないことかもしれませんが、全てのスポーツファンが(毎年とは言いませんが、定期的に)こうした気分を味わうべきです。さすがに10年、15年POから遠ざかっていると、希望が持てなくなり、ライトファンは離脱して行ってしまいます。その意味で、本当に戦力均衡は必要だなあということを体験として痛感しました。

で、戦力均衡の定義ですが、「定期的に優勝」する必要は必ずしもありません。POは短距離走ですから、戦力均衡の制度的なコントロールが効きづらい舞台です。なので、最低でも「市場が小さくて経営が厳しい球団でも10年に1回くらいはPOに進出できる」くらいが戦力均衡の目指すべき落としどころだと思います。「あ、もしかしたら優勝できるかも!」という期待を定期的に醸成するのが戦力均衡の肝です。

ちなみに、MLBで最も長くPO進出を果たしていないのがマリナーズで14年間、次いでマーリンズが12年間です。10年を超えるのはこの2球団だけです。5年以上、10年未満の球団も4球団だけですから(合計6チーム)、15年ほど前は戦力不均衡の好例とも言われていたMLBも、かなり戦力均衡が進んで来ているのでしょう。

で、調べてみたら、実はMLBはNFLより上手くやっているんですね!

NFLの場合、10年以上PO進出していないのはビルズ(14年)、レイダーズ(12年)、ブラウンズ(12年)、ラムズ(10年)の4チームで、5年以上10年未満の球団も4チームあります(合計8チーム)。

日本(プロ野球)はどうかというと、こんな感じです(2015年10月5日時点)。

■セ・リーグ
ヤクルトスワローズ:0年
読売ジャイアンツ:0年
阪神タイガース:1年
広島カープ:1年
中日ドラゴンズ:3年
DeNAベイスターズ:17年

■パ・リーグ
ソフトバンクホークス:0年
日本ハムファイターズ:0年
千葉ロッテマリーンズ:0年
西武ライオンズ:2年
オリックスバファローズ:1年
楽天イーグルス:2年

日本は球団数が少ないので、2007年にCSが出来て状況は劇的に改善されてきているようです。ベイスターズファンはちょっと可哀相ですね。。。

SBA(スポーツビジネスアカデミー)開講にあたり

FBやツイッターなどでもお知らせしましたが、今週月曜日にスポーツビジネスに特化した教育プラットフォーム「Sports Business Academy」(スポーツビジネスアカデミー)を開講致しました!


僕は、以下に説明する2つの懸念、危機意識を日本のスポーツビジネス界に対して常々抱いていたのですが、SPOLABo代表でNPBE執行役員の荒木さんも似たような危機感を抱いており、いろいろな事業的な巡りあわせもあって、この度、荒木さんとともに一般社団法人スポーツビジネスアカデミーを設立する機会を頂き、SBA開講に至った次第です。

1つ目の懸念。これは、かれこれ10年くらい持っているものです。

僕がアメリカに留学した15年前は、「スポーツビジネスに就職する」という発想そのものがまだ一般的でなかった時代でした。スポーツで生活するといえば、プロスポーツ選手になることくらいしかイメージがなく、当然僕が就職活動をしていた20年前に選択肢としてスポーツビジネスが上がることはありませんでした。

しかし、今や海外にスポーツ経営を学びに留学することは珍しくなくなり、日本国内にも多くの大学がスポーツ関連の学科を立ち上げるようになっています。これにより、就職の選択肢の1つとしてスポーツビジネスが学生にも目に見えるようになりました。

良く言えば、これはスポーツビジネスの担い手が増えるようにも見えますが、悪く言えば「スポーツビジネス」という椅子取りゲームの参加者が増えただけで、椅子の数は増えていない状況です。

誤解を恐れずに言えば、スポーツビジネス(特にプロスポーツ)は経営的な余裕のあまりない中小企業ですから、ビジネスパーソンとしての武器を持たずに丸腰で就職しても、なかなか武器ができづらい産業です。充実した研修制度などはあまり期待できませんから。だから、僕は大学生から進路相談を受けた時は、必ず「最初はスポーツ以外の産業で自分の武器を確立してから入ってきた方がいいよ」「入ることだけを考えるのではなく、入ってからどう活躍するかを考えた方がいいよ」とアドバイスしています(もちろん、ケースバイケースですから、絶対最初に入ってはダメというわけではありませんが)。

スポーツビジネスの採用は、「兵隊採用」か「士官採用」に分けれます。兵隊採用からたたき上げで士官になる人もいますが、長いこと兵隊のままだったり、士官になる前に燃え尽きて辞めてしまう人も少なくありません。「入ること」しか考えていない人は、だいたいこのパターンが多いでしょうか。

椅子取りゲームの椅子の数を増やすために、産業を大きくできる「士官」がまだ足りない、というのが僕の1つ目の懸念です。スポーツ界は平均給与も低い業界です(タダでも働きたいという人がたくさんいますから)。それが、優秀な人材を呼び込むのを難しくしている側面もあります。どんどん優秀な人材にスポーツビジネスに入ってきてもらい、リーダーになって欲しいのです。

2つ目の懸念。これはちょうどここ2年くらいで見えてきたものです。

2013年9月、東京が2020年のオリンピック開催都市に決定しました。この日を境に、日本のスポーツ界への注目度が急速に高まり、多くのお金が流れ込んで来ています。私のところでも、オリンピック関連の案件が常時走っているような状況になりました。

お金が流れ込むところにはいろいろな人や会社が集まります。でも、その中にはぶっちゃけ「スポーツが金儲けに利用できればいいや」という考えだけのように見える人や会社もいます。ビジネスですから、ルールを守ればそれはそれでアリだと思います。産業が大きくなるのはそういうことだと思いますから。

今や、ほとんどバブルのような勢いなのですが、この勢いが“宴の後”も続くとは到底思えません。「オリンピックは盛り上がったけど、結局高いお金をつぎ込んだ割には、あんまり成果がなかったよな」と言われるのは、絶対に避けなければいけません。

これは、以前「2020東京は1984ロスになれるか?」などでも書きましたが、米国は1984年のロス五輪をきっけかにスポーツが産業として確立・発展していきました。これから10年先、20年先、あるいは半世紀先の日本のスポーツビジネス界の発展を考えると、これから東京オリンピックまでの5年が勝負どころだと思うのです。ここで上手くスポーツ産業を持続的に発展させることのできる人材を手当てしないと、日本スポーツビジネス界は長い冬の時代に入ってしまうかもしれない、これが僕の2つ目の危機感です。

15年、20年前に比べれば、日本のスポーツビジネス界は長足の進歩を遂げていると思います。多額のお金と優秀な人材が集まりつつある今、最大限の努力を振り絞って更にレベルアップし、日本スポーツビジネス界を1つの産業として確立することができたらと思っています。多分、この5年がその最大のチャンスと言える時期ではないかと思います。

自分なりのコンステレーションを探そう

今年も夏のツアーが終了しました。日本各地から集まった30名超の大学生と約1週間をNYで共に過ごしました。
 

インターネットの普及により世界が狭くなったと言われます。今や、ネット上の情報の55%が英語であることに象徴されるように(ちなみに日本語は5%)、好むと好まざるとに関わらず、英語ができないだけで世界から取り残されてしまうことになります。

ネットが発達したお蔭で、情報の取得は格段に便利になりましたが、それで世界を知った気になってしまうのは恐いし、もったいないと思います。「情報として知っている」ことと「体験として身を持って知っている」ことには大きな差があるからです。
 
ツアーではスポーツビジネスを題材にしているものの、僕が学生の皆さんに分かって欲しいことは、逆説的ですが、スポーツビジネスのことではありません。世界は広く、日本の「常識」は一面的な真実に過ぎず、必ずしも世界の「当たり前」ではないことに気づいて欲しいのです。

ぶっちゃけ、スポーツビジネスの知識なんて30歳になってから学んでも遅くありません。ビジネスパーソンとしての基礎ができていれば、あっという間に体得できてしまうでしょう。むしろ、学生のうちに必要なのは、知識やスキルではなく、それを乗せる器を大きくすることだというのが、僕の持論です。器を大きくするには、常識を疑い、異質なものを取り込んでいく努力が不可欠です。

日本の教育は平均点的には高いレベルにあると思いますが、いまだに「正解がある」ことを前提に、「正解を探す」教育を行っています。大学受験など、その最たるものかもしれません。でも、大学を卒業して社会に出れば、「正解」のない世界に突入します。

大袈裟かもしれませんが、正解のない世界をサバイブする上で必要なのは、哲学なのかもしれません。特に、特定の宗教を持たない人が多く、空前の経済発展を遂げたがゆえに、幸福を体感することが難しくなってしまった今の日本には、人生を生きて行くことに対する自分なりの哲学、流儀、つまり、自分なりの幸福の尺度の確立が必要なんだと強く思います。

他人との比較で幸福を定義する生き方は、今の時代には合いません。もう正解を探し求める人生はやめませんか?

とまあ、こんなメッセージを散りばめながら学生と1週間過ごすわけです。面白いのは、1週間で学生の顔つきがみるみる変わって来るんですね。最初は観光気分から抜けきらなかった学生も、最終日の「成果共有会」では、大人も唸らせる名言を吐くようになります(笑)。

  • 「発想は情報からではなく、体験から生まれるんだということが分かりました」
  • 「夢はアメリカにあるのではなく、自分の中にあるんだということが分かりました。僕は日本で夢を実現するために、アメリカという国を使ってやろうと思います」
  • 「成功と失敗を分けるのは能力ではなく、気合いなんですね。一歩踏み出す勇気が、状況を変えることを学びました」
  • 「このツアーの成否は、今後の自分の行動次第だと思います。刺激を受けたことだけで満足してはいけないと思いました」

人生とは、自分なりのコンステレーション(Constellation)を探す作業だと思います。Constellationとは、「星座」を意味する英語ですが、ユング心理学ではこの言葉を「自分の人生の出来事がつながって、全体として意味あるストーリーが星座のように見えること」といったような象徴的な意味で用いるそうです。

僕もこうした考え方が好きです。スティーブ・ジョブスもスタンフォード大での有名なスピーチで同じような事を言ってますよね。

日本では“北斗七星”とか“オリオン座”とか有名な星座になることだけが是であり、成功とされる風潮がいまだに強くあると感じます。でも、星は夜空に無数にあります。晴れていても、曇っていても、雲の向こうで人知れず輝き続けています。

誰かが名付けた有名な星座をなぞっても、幸せにはなれるとは限りません。人生は、東大理IIIに入れば成功する、という単純なものではありません。

誰も気づかなかった星を探し、自分なりのコンステレーションを作ってもいいではないですか。誰も知らない自分なりの星座を胸に秘め、ひっそりと、でも確かに踏みしめながら生きて行く人生も、それはそれで幸せだと思います。

ニューヨークスポーツビジネス視察ツアー2015 from Trans Insight on Vimeo.

P.S. このツアーハイライトは、酒と剣をこよなく愛す“トランスインサイトの女侍”ことM嬢の力作です。Mさん、お疲れ!

スポーツ経営における「Value Proposition」の重要性

なでしこジャパンのワールドカップ準優勝を受け、選手の待遇改善を訴える記事などが増えていますね。同じ大舞台で戦っているのに、男子に比べると待遇が悪いとか、同じ女子サッカーでも米国に比べると環境が整っていない、といったものです。

ただ、多少言葉じりを捉えるようで申し訳ないのですが、準優勝した「のに」待遇が悪いのはおかしい、といった主張には多少違和感を感じます。競技レベルが高いことと、ビジネスで成功することは、別のものとして考えるべきだからです。

もちろん、両者は相互依存関係にあるので、競技力が上がれば集客がやりやすくなるのは事実です。もしくは、事業的な成功により手にした資金で競技力向上に投資できるようになります。

でも、競技力が高ければ必ず事業的に成功するわけではありませんし、逆に競技力が低ければ例外なくビジネスで失敗するというわけでもありません。例えば、米国には同じ「野球」という売り物を提供しているビジネスでも、最高レベルのMLBだけでなく、マイナーや独立リーグといった様々な競技レベルの「商品」が混在しています。

最高レベルのプレーを提供するMLB球団でも事業的にうまく行っていない球団は少なくないですし、逆にプレーのレベルが低い独立リーグ球団でも毎年確実に黒字を出しているところもあります。

この成否の違いを読み解くキーワードになるのが「Value Proposition」(バリュー・プロポジション)です。

成功しているマイナー/独立リーグ球団のオーナーや経営者と話していると、会話の中に必ずといっていいほどこの「Value Proposition」という言葉が出て来ます。最近では、MLB球団でも聞くようになってきました。

「Value Proposition」は、日本語に訳すのが難しい言葉なのですが、イメージとしては「提供されている価値」といった意味です。マーケティング的に言うなら、4P(Product, Price, Place, Promotion)によって作り出される総合的な商品価値のことです。

特に、競技レベルで勝負できないマイナー/独立リーグ球団経営者は、4Pの中でも「Product」について徹底的に考え抜いており、分解された複数の訴求価値から市場に合った総合価値を創り出す努力をしています。そして、ここが日米で大きな差を感じる部分です。

競技軸が強い日本では、「Product=競技だけを見せる場」という意識が強く、それ以外の訴求価値を追い求めることが邪道のように見なされる雰囲気があります。これはこれで1つの文化の在り方だとは思うのですが、事業的に考えると「Product=競技だけを見せる場」と定義した瞬間から、「Value Proposition」で柔軟性を失うことになってしまいます。

「同じ競技なのになぜ?」と考える前に、競技のフィルターを外し、それぞれ固有の「Product」としてどのような「Value Proposition」を生み出しているのかを考えるべきでしょう。

「男子サッカー日本代表チームはFIFAランキングで女子代表より下なのに、なぜスポンサーが集まるのか?」
「なぜ競技レベルで落ちる独立リーグ球団でもMLB球団より利益を生む球団があるのか?」
「なぜワールドカップでは男女で優勝賞金が違うのに、USオープン(テニス)は同じなのか?」

競技の軸から離れ、「Value Proposition」という思考の補助線からこうした問いを深めて行くと、違った景色が見えてくるのではないかと思います。

スポーツとの距離感と自我の関係

約1か月ぶりにNYに戻ってきました。この1か月は出張続きでほとんどNYにいませんでした。。。

さて、なでしこジャパン、準優勝は素晴らしい結果だったと思います。最後の試合まで残ることができたわけですから。今大会を見ていて、スポーツ(ウー?)マンシップに関する報道がちらほら出ていて個人的には気になりました。


これ、僕もレベルは全然違いますけど、経験あります。僕もNYでフラッグフットのチームを日本人で組んで、地元の大会に出場しています(相手はもちろんアメリカ人です)。かれこれ8年位プレーしていますが、プレーオフの厳しい試合の後でも、アメリカ人は試合後は割とさっぱりしていて、「good game」(相手が勝った場合)、「good luck」(相手が負けた場合)などと言って来ます。

僕はもともと大学の体育会でアメフトをやっていた人間ですから、負けるのはやはり嫌いです。当時は、自分の全人格を賭けてフットボールしてましたから、「勝負が全て」という感じで、試合に負けると全人格が否定されたような感覚に陥り、しばらく日常生活が手につかなくなったのを覚えています。

まあ、今は遊びですから、そこまでではないですが。ただ、当時の感覚を覚えている人間として、アメリカ人のスポーツとの距離感は、最初は非常に鮮烈に映ったんですね。これは、プロのレベルでも結構似ていて、こちらの選手は大舞台で負けても、試合後のインタビューで平気な顔をして記者からの厳しい質問に答えるんですよね。日本だと、似たような状況では会見拒否も少なくないようですけど。

で、最初はこの違いは教育の違いだと思いました。競技軸が強い日本では(競技軸の話は過去にもいろいろと書きましたが)、選手は「フィールド以上でプレーすることだけが自分の仕事」という意識が比較的強いですが、アメリカでは「競技する以外(プレス対応や地域活動等)も選手の仕事」という教育を受けます。

しかし、日本でも最近は選手教育も球団によっては力を入れて来ていますし、どうもそれだけではこの違いは説明がつかないなぁと感じていました。で、もう少し考えを深めていて、どうも自我の在り方自体に違いがあるのではないかという仮説を持つようになりました。

以前、「社会において集団と個人のどちらを優先するか」でも書きましたが、日本人は「個人の都合」よりも「全体の都合」(場の調和)に配慮した意思決定を行います。相手に配慮しながら意思決定を続ける中で、日本人の自我(自分と他人の境界)は曖昧で、他人に対して開かれています。そのため、時に自分と他者(対象)が同一化してしまうこともあるようです(日本人と欧米人の自我の違いの話は河合隼雄氏の著作を読むといっぱい出て来ます)。

つまり、スポーツ競技において極限状態に置かれると、選手と競技が一体化してしまい、うまく競技や試合を客体化して捉えることができなくなるのです。これに対して、欧米人の自我は明確で、他人に対して閉ざされています。そのため、悔しい負け方をしても、比較的冷静に過去を客体化して振り返ることができるのではないかと感じます。

これはあくまでも程度問題であって、良し悪しではありませんが、こうした自我の在り方がスポーツとの距離感に大きな影響を与えている様に思います。

新国立の事業設計は大丈夫か?

新国立競技場の建設について、その建設費の高騰や設計の変更、工期の実現性などがここにきて大きな議論になっています。こうした議論はこれまでも水面下であったんだと思いますが、東京都の舛添知事が文科省に求められた500億円の都の無条件負担を留保し、その根拠を求めたことがこうした議論の呼び水になったようですね。  

僕は施設設計の専門家ではないので、どのようなプロセスがあるべき姿なのかについて、専門知識はおろか、自分の見解と呼べるような知見は持たないのですが、1点気になることがあります。それは、新国立の事業設計についてです。  

事業設計と言うと、「建設後」にどのようなテナントやイベントを集めて収益計画を立てるのかという事業計画に焦点が当たりがちですが、実はこれよりも重要なのが、「建設前」に事業を想定したデザイン・導線を施設設計に反映させることです。  

日本のスポーツ施設(特に税金で建設される施設)では、建設前にテナントや協賛企業の意見を踏まえることは稀なようです。これは、公共性を重視する日本の行政の特徴なのですが(要は、税金を使っている以上、特定の企業だけに配慮した設計はできないという考え)、この建前が事業的に使い勝手の悪いスポーツ施設が日本中に量産される大きな理由になっています。  

米国では、スポーツ施設建設に際しては10社程度の「共同創設パートナー」(Founding Partner)を募り、10〜20年程度の長期的なコミットメントを求める代わり、施設内での独占的な事業機会を提供する形でパートナーシップを組むのが一般的です。要は、リスクを共有する事業パートナーとして、施設設計時から事業者にコミットしてもらい、よりビジネスのやりやすい施設を自治体と共に創り上げて行くのです。  

例えば、自動車会社が創設パートナーになるのなら、自動車の展示スペースや搬入を踏まえた設計が行われますし、ITソリューション会社であれば施設インフラとしてその会社のハード・ソフトウェアがインストールされるといった具合です。こうした協賛事業を踏まえた設計は、施設建設後に考えても遅いわけです。  

昨年、クライアントとともにスポーツ施設の運営管理を行っている米国のある自治体にヒアリングに行ったことがありました。その際、施設設計に事業者が主体的に関与しない日本の現状を説明すると、「例えば、工場を作るとしましょう。その工場で何を作るかを決めずに、あなたはその工場を建設しますか?自動車を作るのか、アパレルを作るのかによって、施設のレイアウトは大きく違ってくるはずです」と言われて一同言葉を失った経験がありました(笑)。 

新国立建設の議論では、そのデザインについては侃々諤々の議論が展開されているようですが、事業設計の話が全くと言っていいほど表に出てきません。水面下でちゃんと話が進んでいるとよいのですが。 

確かに、オリンピックは国を代表するイベントであり、そのデザインは重要です。でも、見栄えばかりの議論を続けて、肝心な収益性の議論が万が一後回しになっているようなら、僕はそちらの状況の方がより致命的だと思うわけです。毎年何十億円もの維持費を垂れ流すような施設だけは避けるできだと思います。
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