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XFLに学ぶ新リーグのValue Propositionの作り方

米国では、Super Bowlが終了して息つく暇もなく新フットボールリーグXFLが2月8日から開幕しました。XFLは、WWEのプロモーターだったVince McMahonが作ったプロフットボールリーグで、実は2001年に立ち上げて1年で経営破綻した経緯があります。今回は捲土重来を期した再チャレンジなのです。

 

最初のチャレンジの時は、チアリーダーのお色気やプロレス仕込みの派手な演出など、どちらかというとフットボール以外の要素が注目されてしまい、Week 2での不運な全国放送中の停電などもあって評判が落ち、経営が立ちいかなくなってしまいました(XFLの経営破綻の経緯はESPNの名作ドキュメンタリー「30 for 30」が“This Was the XFL”として詳しく特集しています)。

 

まだ開幕してWeek 1を終えただけですが、1回失敗しているだけあって、練りに練られてリーグ経営が行われている様子がヒシヒシと伝わってきており、業界関係者の評判も上々です。今回は、XFLのような後発リーグがプロスポーツとして成功するために考えなければならない点について、ケーススタディ的に書いてみようと思います。

 

以前「スポーツ経営におけるValue Propositionの重要性」「流行り言葉で思考停止にならないために」などでも書きましたが、リーグ経営でも球団経営でも施設経営でもそうですが、最も重要なのは、自分の組織の「Value Proposition(訴求価値)を考える」ことです。換言すれば、競合が真似できない自身のユニークな強みは何なのかを考え抜き、徹底的な差別化を図ることです。特にこの発想は人気のないマイナー競技や2nd Tier(上に同じ競技でレベルの高い既存リーグが存在する)の競技には不可欠な発想です。

 

Week 1のXFLの試合中継を見ていて気付いた点を列挙すると、

 

  • ヘッドコーチとQBの無線でのプレーコールのやり取りがそのまま聞ける(視聴者はプレーが始まる前にどんなプレーなのかが分かる)

⇒これはプレーを事前にネタバレさせることで新たな観戦体験を生み出しているわけです。野球なら、試合前にバッテリーのサインをファンに公開しているようなイメージでしょうか。投手の投げる球が事前に分かれば、プレーを先読みして見られるわけで、視聴体験も大幅に変わります。フットボールなら、プレーコールが事前に分かっているのはオフェンスの選手だけですから、視聴者も選手やチーム関係者と同じ立場に立ってプレーに臨めるわけですね。これは無茶苦茶面白いです。

  • ビッグプレー(TDやインターセプト)した選手やコーチに、プレーの直後に速攻インタビューする

⇒ビッグプレーを終えてまだハアハア言っている選手へのインタビューは選手のテンションが直に伝わってきます。視聴者の頭にプレーの残像が鮮明に残っているうちに、選手の視点からプレーを振り返ってくれるのは、試合後の記者会見などより圧倒的な臨場感があります。

  • TDの後のPATに1点、2点、3点のバリエーションが提供されている(普通は1点か2点が選べるだけ)

⇒これはフットボールを知らないと分かりにくいかもしれませんが、ラグビーに例えれば、トライの後のコンバージョンキックの距離を選べ、距離によって2点、3点、4点などが選択できるようなイメージです(普通は2点だけ)。無理してサッカーに例えると、ペナルティエリア外からゴールを決めれば2点みたいなものでしょうか。こうしたルール変更によって得点がダイナミックに動くようになるので、より高い戦術性が求められるようになり、見ている方もハラハラする機会が確実に増えます。

  • 脳震盪が起こるリスクが最も高いとされるキッキングゲームで、危険な接触が起こらないようにルールが大きく変更されている

⇒百聞は一見に如かずなので、以下の動画をまずみて下さい。

通常カバーチーム(キックを蹴る方)はボールが置いてあるラインから全力疾走してリターナーを止めに行くわけですが、XFLでは脳震盪の発生を防止するためにカバーチームとリターンチームを5ヤード離れて対峙させる方式を採用しています(これなら勢いがつかないため脳震盪が起こりにくい)。NFLがこんなドラスティックなルール変更をしようとしたら、キッキングのスペシャリストやコーチが職を失うことに直結するので、やりたくてもできないのです。

  • プレークロック(プレー終了から次のプレーを開始しなければならない間隔)は25秒で(NFLは40秒)、ハーフタイムも10分(NFLは12〜15分、カレッジは20分)と短い

⇒試合時間の短縮が大きな課題になっている中で、プレーの質を多少犠牲にしてでもペースアップを図る強い意志が見られます。

  • 女性審判が必ずいる

⇒XFLでは各試合での審判クルーのうち必ず1名は女性を入れないといけないルールになっています。女性の社会進出をエンパワーするツールとしてスポーツが注目されつつある中での画期的な取り組みと言えそうです。こういう旬なトレンドを迅速に取り込むXFLのビジネス感度は非常に高いです。近い将来、少なくとも選手の1名は女性でないといけない、みたいなルールも出てくるかもしれません。

 

上記を見てみると分かるように、これまでカメラやマイクが入ることが許されなかった“聖域”を公開したり、競技のルールそのものを変えてしまったりと、ことごとく既存の常識やタブーを覆しているのが分かります。  

 

競技軸が強い日本のスポーツ組織は“競技ドグマチック”になりがちなため、「野球とはそういうもんなんだ」「そんなのサッカーじゃない」「グランドは神聖な場所なんだ」といった理由にもならないような理由から新しい試みが否定される傾向が強いです。もちろん、トップレベルのプロスポーツは正統的な競技を提供する責務があるでしょう。でも、人気がなくて困っているようなマイナー競技や、トッププロリーグとの差別化を図る必要がある後発リーグや下部リーグが競技の正当性だけを主張しても自分で自分の首を絞めるだけかもしれません。

 

まだWeek 1が終わったばかりのXFLの成否を評価するのは早計ですが、少なくとも「XFLはフットボールに新たなイノベーションを起こした」という評価は共有されているようです。まさに、イノベーションは辺境から生まれるのです。

スポーツ経営における「Value Proposition」の重要性

なでしこジャパンのワールドカップ準優勝を受け、選手の待遇改善を訴える記事などが増えていますね。同じ大舞台で戦っているのに、男子に比べると待遇が悪いとか、同じ女子サッカーでも米国に比べると環境が整っていない、といったものです。

ただ、多少言葉じりを捉えるようで申し訳ないのですが、準優勝した「のに」待遇が悪いのはおかしい、といった主張には多少違和感を感じます。競技レベルが高いことと、ビジネスで成功することは、別のものとして考えるべきだからです。

もちろん、両者は相互依存関係にあるので、競技力が上がれば集客がやりやすくなるのは事実です。もしくは、事業的な成功により手にした資金で競技力向上に投資できるようになります。

でも、競技力が高ければ必ず事業的に成功するわけではありませんし、逆に競技力が低ければ例外なくビジネスで失敗するというわけでもありません。例えば、米国には同じ「野球」という売り物を提供しているビジネスでも、最高レベルのMLBだけでなく、マイナーや独立リーグといった様々な競技レベルの「商品」が混在しています。

最高レベルのプレーを提供するMLB球団でも事業的にうまく行っていない球団は少なくないですし、逆にプレーのレベルが低い独立リーグ球団でも毎年確実に黒字を出しているところもあります。

この成否の違いを読み解くキーワードになるのが「Value Proposition」(バリュー・プロポジション)です。

成功しているマイナー/独立リーグ球団のオーナーや経営者と話していると、会話の中に必ずといっていいほどこの「Value Proposition」という言葉が出て来ます。最近では、MLB球団でも聞くようになってきました。

「Value Proposition」は、日本語に訳すのが難しい言葉なのですが、イメージとしては「提供されている価値」といった意味です。マーケティング的に言うなら、4P(Product, Price, Place, Promotion)によって作り出される総合的な商品価値のことです。

特に、競技レベルで勝負できないマイナー/独立リーグ球団経営者は、4Pの中でも「Product」について徹底的に考え抜いており、分解された複数の訴求価値から市場に合った総合価値を創り出す努力をしています。そして、ここが日米で大きな差を感じる部分です。

競技軸が強い日本では、「Product=競技だけを見せる場」という意識が強く、それ以外の訴求価値を追い求めることが邪道のように見なされる雰囲気があります。これはこれで1つの文化の在り方だとは思うのですが、事業的に考えると「Product=競技だけを見せる場」と定義した瞬間から、「Value Proposition」で柔軟性を失うことになってしまいます。

「同じ競技なのになぜ?」と考える前に、競技のフィルターを外し、それぞれ固有の「Product」としてどのような「Value Proposition」を生み出しているのかを考えるべきでしょう。

「男子サッカー日本代表チームはFIFAランキングで女子代表より下なのに、なぜスポンサーが集まるのか?」
「なぜ競技レベルで落ちる独立リーグ球団でもMLB球団より利益を生む球団があるのか?」
「なぜワールドカップでは男女で優勝賞金が違うのに、USオープン(テニス)は同じなのか?」

競技の軸から離れ、「Value Proposition」という思考の補助線からこうした問いを深めて行くと、違った景色が見えてくるのではないかと思います。

スポーツとの距離感と自我の関係

約1か月ぶりにNYに戻ってきました。この1か月は出張続きでほとんどNYにいませんでした。。。

さて、なでしこジャパン、準優勝は素晴らしい結果だったと思います。最後の試合まで残ることができたわけですから。今大会を見ていて、スポーツ(ウー?)マンシップに関する報道がちらほら出ていて個人的には気になりました。


これ、僕もレベルは全然違いますけど、経験あります。僕もNYでフラッグフットのチームを日本人で組んで、地元の大会に出場しています(相手はもちろんアメリカ人です)。かれこれ8年位プレーしていますが、プレーオフの厳しい試合の後でも、アメリカ人は試合後は割とさっぱりしていて、「good game」(相手が勝った場合)、「good luck」(相手が負けた場合)などと言って来ます。

僕はもともと大学の体育会でアメフトをやっていた人間ですから、負けるのはやはり嫌いです。当時は、自分の全人格を賭けてフットボールしてましたから、「勝負が全て」という感じで、試合に負けると全人格が否定されたような感覚に陥り、しばらく日常生活が手につかなくなったのを覚えています。

まあ、今は遊びですから、そこまでではないですが。ただ、当時の感覚を覚えている人間として、アメリカ人のスポーツとの距離感は、最初は非常に鮮烈に映ったんですね。これは、プロのレベルでも結構似ていて、こちらの選手は大舞台で負けても、試合後のインタビューで平気な顔をして記者からの厳しい質問に答えるんですよね。日本だと、似たような状況では会見拒否も少なくないようですけど。

で、最初はこの違いは教育の違いだと思いました。競技軸が強い日本では(競技軸の話は過去にもいろいろと書きましたが)、選手は「フィールド以上でプレーすることだけが自分の仕事」という意識が比較的強いですが、アメリカでは「競技する以外(プレス対応や地域活動等)も選手の仕事」という教育を受けます。

しかし、日本でも最近は選手教育も球団によっては力を入れて来ていますし、どうもそれだけではこの違いは説明がつかないなぁと感じていました。で、もう少し考えを深めていて、どうも自我の在り方自体に違いがあるのではないかという仮説を持つようになりました。

以前、「社会において集団と個人のどちらを優先するか」でも書きましたが、日本人は「個人の都合」よりも「全体の都合」(場の調和)に配慮した意思決定を行います。相手に配慮しながら意思決定を続ける中で、日本人の自我(自分と他人の境界)は曖昧で、他人に対して開かれています。そのため、時に自分と他者(対象)が同一化してしまうこともあるようです(日本人と欧米人の自我の違いの話は河合隼雄氏の著作を読むといっぱい出て来ます)。

つまり、スポーツ競技において極限状態に置かれると、選手と競技が一体化してしまい、うまく競技や試合を客体化して捉えることができなくなるのです。これに対して、欧米人の自我は明確で、他人に対して閉ざされています。そのため、悔しい負け方をしても、比較的冷静に過去を客体化して振り返ることができるのではないかと感じます。

これはあくまでも程度問題であって、良し悪しではありませんが、こうした自我の在り方がスポーツとの距離感に大きな影響を与えている様に思います。

スポーツが単なる競技を超える時

日本からの来客が相次いだ2週間で、久しぶりにマンハッタンのオフィスに戻ってきた感じです。ようやく一息つけそうです。

そのクライアントとの視察中、偶然スポーツが「競技」を超える瞬間を2つ目の当たりにすることができました。「競技を超える」と言われても、いまいちピンと来ないかもしれませんが、要は単なるフィールド上の競争(=狭義のスポーツ)という枠を超え、スポーツの持つ「競技以外の力」を発揮する(=広義のスポーツ)といったようなイメージです。
 
1つ目は、昨日のヤンキース対レッドソックス(@ヤンキースタジアム)の試合にて。実は、その前日までボストンにいて、レッドソックスを訪問していたのですが、先週末に不慮の事故で職員が亡くなってしまったという訃報を耳にしていました。
 
昨日のヤンキース戦では、試合前にその職員に対して黙とうをささげる時間がもうけられていたのですが、その間、ヤンキースタジアムのビジョンには亡くなった職員の遺影が大きく掲げられていました。
僕自身は亡くなったJackと直接の面識はなかったのですが、レッドソックスには多くの友人がいるので、他人事とは思えずにいたところ、偶然ヤンキースタジアムでこの計らいを目にして、その心遣いにグッときてしまいました。レッドソックスとヤンキースは、フィールド上は最大のライバルですが、フィールド外では強い絆で結ばれていることを再確認しました。

2つ目は、一昨日開催されたNBAドラフトでの出来事。今年のNBAドラフトは昨年に引き続きブルックリンにあるBarclays Centerで開催されたのですが、実はこちらもその前日に施設の中を視察しに訪問していました。
 
ドラフトの前日だったのは偶然だったので、バスケットボールアリーナがドラフト会場に様変わりする様子が見られたのはラッキーでした。こうしたリーグイベントの際は、基本的にコート上はリーグ機構の管轄になってしまうので、Barclays Centerの関係者でも許可なく立ち入ったりできないんですよ。
 
で、そのドラフトでサプライズが起こりました。ドラフト1巡の15位指名と16位指名の間で、NBAがベイラー大学のアイザイヤ・オースティン選手を指名したのです。

同選手は2年生ながらドラフトの有望株として注目されていたのですが、ドラフト直前に心臓に悪影響を及ぼす先天性ファルフィン症候群と診断され、競技バスケットからの引退を余儀なくされていました。同選手の失意は計り知れないと思いますが、彼の無念さを少しでも晴らそうと、NBAが粋な計らいをしたというわけです。
 

スポーツの役割は単に競技を運営して、最高のプレーを見せるだけではありません。もちろん、それも大切ですが、競技という軸とは別の視点から付加価値を提供することも、スポーツの持つ本質なのではないかと思います。
 
実はNBAは、米国メジャースポーツでいち早くこの点に気付いたリーグで、組織のミッションステートメントにもそれは明文化されています。
 
1)We will grow and celebrate the game of basketbal(バスケットボールを育て、称える)
 
2)We understand that the popularity and visibility of our teams, players, and league obligate us to demonstrate leadership in social responsibility(チームや選手、リーグの人気には社会的責任においてリーダーシップを発揮する責務が伴うことを自覚する)

日本におけるスポーツは、教育的価値観が強かったり、部活カルチャーなどがあって、競技軸が非常に強いのですが、これがビジネス的には顧客層を狭く定義してしまったり(純粋に競技が好きな人しか見て楽しめない環境になっている)、ファン層の競技間の重複をなくしてしまう(野球ファンはサッカーを見ない、サッカーファンは野球を観ない)などの弊害を生んでいます。

日本でも競技軸を超えた付加価値を提供する視点がもう少し強くなれば、スポーツを支える環境もまた違ったものになるかもしれません。

専門化が進み、日本化する米国のユーススポーツ

先週末のCBSの「60 Minutes」は面白かった。この番組では、度々スポーツに関するテーマも取り上げられることがあるのですが、先週末は「Quarterback Guru」(クォーターバックの教祖)と題して、小・中学校レベルの子供にQBのスキルを教えるコーチの話題が特集されていました。

その映像がこちら。


映像は13分程度ですので、時間があれば是非見て頂ければと思うのですが(こちらにTranspriptもあります)、要は最近は日本の受験戦争さながらに、米国スポーツ界でも有名大学へのスカラシップ入学の競争が激しさを増しており、小学校位からしっかりとしたコーチのもとで指導を受けさせるようになってきている、という話です。受講料は確か1時間400ドル(4万円)って言っていたと思います。

で、びっくりしたのが、12〜3歳の年齢の子供に有名大学がスカラシップを提供してるんですね。こうした子供たちの中から大学でもフットボールを第一線で続けられるのは僅か6%、さらにそこからプロに行けるのは0.08%(1万人に8名)と言われています。

こんな年端もいかない子供に1時間400ドルも払ってレッスンを受けさせるなんて馬鹿げてると思う人もいるかと思いますが、親の子供に対するスポーツ投資の態度が最近変わってきているようなんです。

米国といえば、スポーツはシーズン制を採用していることが有名です。春から夏に掛けては野球をし、秋から冬はアメフトやバスケといった具合に複数競技を掛け持つのが普通とされてきました。でも、最近のユーススポーツの世界では「Specialization」(専門化)が進んでいるんだそうです。

これは知り合いのNYUの教授に教えてもらったのですが、最近はアメリカでも子供が小さい時から1つの競技に絞って専門的なコーチングを受けさせるようになってきているんだそうです。これは親の考えが強く影響しているようなのですが、「より早く、より専門的な教育をうけさせる方が選手として大成し、プロになれる、あるいはプロまで行かなくとも大学に奨学金で通える可能性が高まる」という発想です。

この背景には、ユーススポーツもビジネス化しているという点が挙げられます。例えば、リトルリーグ・ワールドシリーズなどは、テレビ放映権がESPNに売られ、全国トーナメントの全試合が全米中継されています。そこに協賛企業が付き、グッズも売られています。まさにプロスポーツと同じモデルです。

子供のチームであっても、全国遠征して経験を積み、またこうしたユースチームを招致するために、地方自治体が子供専用のスポーツ複合施設を建設したりもしています。近くにホテルが完備され、施設内には子供の遠征に帯同する親のためにWifiも飛んでいるという、至れり尽くせりの環境です。こうしたビジネス化の波に飲み込まれ、子供たちもプロ予備軍として「Specialization」が進むようになってきたそうです。

でも、実は「より早くより専門的な教育を受けさせると大成する可能性が高まる」というのは嘘で、親の思い込みなんだそうです。

実際は、小さいころから競技を絞ると、動作が固定され(例えば、野球ならバットの素振りとか)、体がそれ以外の動きをしなくなるので、結果としてアスリートとしての総合的な運動能力の開発が遅れ、怪我のリスクが高まるんだそうです。そういう研究結果が出ていると言っていました。

もしこの「専門化」が今後もユーススポーツ界で進んでいくと、僕は思わぬ副産物が米スポーツビジネス界にもたらされるんじゃないかと思ってます。それは、競技間のファン層の重複が少なくなるという恐れです。

これは以前「競技軸と地域軸」でも書きましたが、競技軸が強い日本では、ファン層も競技により分断されている傾向が強いと思うのですが、対照的に米国では地域軸がスポーツを支えているので、同じ都市にフランチャイズを置く複数競技でファン層は大きく重複しているように感じます。そして、この状況を育んでいる背景として、スポーツのシーズン制があるわけです。

ですから、ユーススポーツで専門化が進むと、将来的に米国でも競技軸が強くなり、ファン層の重複が少なくなるのではないかと。これは市場の縮小につながり得る話ですので、今後も状況の推移を注目して行きたいと思います。

「競技軸」と「地域軸」

先日のマイアミ出張のこぼれ話。

マーリンズの新球場に行ってきたのは先日もお伝えしました。試合は11対0でマーリンズがボロ負けだったのですが、試合中一番盛り上がったのが、以下の瞬間でした。


ちょっとブレてて分かりにくいのですが(汗)、バックスクリーンにマイアミ・ヒートとボストン・セルティクスのカンファレンス決勝戦第5戦の途中経過が表示された時でした。この時、スタジアム内は割れんばかりの拍手に包まれたのです。

これを見て、「あー、やっぱりマイアミという街でファンが繋がっているんだなー」と改めて感じました。そこに、あまり競技の違いは存在しないわけです。

例えば、東京ドームでジャイアンツ戦を観ているとしましょう。バックスクリーンにJリーグの途中経過が表示され、FC東京が勝っていたら同じように拍手が沸き起こるでしょうかね?そもそも違うスポーツの途中経過など掲出すらされないかもしれない??

日本では、どうしても野球ファンは野球だけ、サッカーファンはサッカーだけを熱狂的に応援するという傾向が強いと思います。これは、日本では「天は二物を与えず」「二兎を追うものは一斗も得ず」というような伝統的な価値観が根強く、スポーツにしても、複数のスポーツを同時にプレーする機会が少ないためかもしれません。

アメリカでは、複数スポーツを同時にプレーする、あるいは大学でも複数スポーツを応援するということの方が普通ですから、日本のような「○○道」的な価値観は希薄です。

ヤンキースの試合を見に行った時に、ジャイアンツやニックスのユニフォームを来たファンはちょくちょく見かけます。でも、東京ドームのジャイアンツ戦でFC東京や東京ヴェルディのユニフォームを来たファンはあまり見かけないですよね。そもそも、そんなファンがいたらファン同士でイザコザが起こるかもしれない??

マーリンズ・パークで割れんばかりの拍手を聞きながら、そんなことを思いました。

スポーツの盛り上がりは民主主義の成熟度に比例する?

日経ビジネスオンライン最新コラムがアップされました。

  米国でスポーツ観戦された経験のある方は感じられたかもしれませんが、日米ではファン気質に大きな違いがあります。その違いが日米のスポーツ市場の大きさの違いを生み出している本質的な違いなのだと常々考えていたのですが、それをコラムにまとめてみました。

  端的に言うと、「自由」というものに対する意識・感覚に大きな違いがあるように思います。少し大げさに言うと、アメリカ人はスポーツ観戦を通じて「自由の価値」を守ろうという意識があるように感じます。

  「自由」を行使するためには「強さ」が必要です。  西欧では、宗教革命により思想的近代(資本主義)の素地が作られ、次いで市民革命により社会的近代(民主主義)がもたらされ、最後に産業革命により経済的近代がもたらされ、いわゆる“近代社会”の成立を見るというプロセスを踏んでいます。

  一方、西欧が300年かけて思想的闘争を繰り広げてきた間、日本は鎖国政策で200年以上にわたり外国との交わりを絶っていました。日本に近代社会がもたらされたのは、西欧の圧倒的に優れた技術を目の当たりにし、開国を余儀なくされた江戸時代末期でした。

  かくして、西欧で300年もの長い年月をかけて成熟しつつあった“近代社会”が、宗教革命や市民革命を経ずに「外圧」によって日本にもたらされました。

  「勝ち取った自由」なのか、「与えられた自由」なのか。このプロセスの違いこそが、「自由」を求める「強さ」の違いを生み出している背景にあるように感じます。


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スポーツの盛り上がりは民主主義の成熟度に比例する?
 〜「競技軸」に走る日本と「地域軸」で勝負する米国の差

私が米国に拠点を置きながら日本のスポーツ関連組織のお客様に対してコンサルテーションをさせていただくようになって10年以上が経ちました。この間、お客様の様々な悩みを共有させていただきながら、その解決のヒントとなるような優良事例(ベストプラクティス)を米国で模索し、そのエッセンスを収集・体系化してお客様にご提供するというプロセスを繰り返してきました。

 お客様の抱える悩みは多岐にわたります。チケットやスポンサーシップ販売といった事業系領域から、国際戦略、広報、社会貢献活動。最近では昨年3月11日に発生した東日本大震災への対応や、ソーシャルメディアを活用したファン育成など様々です。  

 情報収集に当たっては、米国スポーツ界の球団・リーグ経営者やプロジェクト担当者と会ってお話をうかがうことも多く、この10年間で面会した方々は恐らく1000人を超えると思います。

 その中で、日米のスポーツビジネス環境の違いを生み出している本質的な違いが大きく2つあるように感じています。  

 1つは、球団経営のあり方の違いです。球団保有目的の違い(誰のために、何のために保有するのか)と言い換えてもいいかもしれません。この点については、以前このコラムでも「ベイスターズ買収劇で露呈した日本プロ野球界の“伝統”〜球団保有の在り方に透けて見える日米スポーツビジネスの違い」などで触れました。  

 米国スポーツビジネス界では、日夜新たなアイデアが生み出され、共有され、進化しています。これは営利目的の球団経営が徹底されているからです。球団が成長エンジンとなって地元のファンや協賛企業、自治体などのステークホルダー(利害関係者)に利益をもたらし、共に成長していくことがDNAとして組織に刻み込まれています。  

 もう1つの大きな違いは、市場特性の違いです。スポーツファンの気質の違いと言ってもいいかもしれません。もっと大きくとらえるなら、社会の違いです。そして、誤解を恐れずに結論を先に言えば、民主主義の成熟度の違い。言い換えるなら、社会の中での「自由」というものに対する向き合い方の違いがこの差を生み出しているように思われます。  

 今回のコラムでは、この点についての私なりの見方をお伝えしたいと思います。

(続きはこちら
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